東京レインボープライドという「場」──連載:松岡宗嗣の時事コラム
何のための場か
企業ブースを見て回ると、普段からジェンダー・セクシュアリティの視点や社会性について意識を持ち活動しているような代理店と協力し出展しているところもあった。企業側も少なくない費用を負担し、単に自社のアピールの場にならないようにと、試行錯誤している様子も見えた。 「企業」と言ったとき、そこには無味無臭の物体があるわけではなく、働く当事者がいることも忘れてはならない。内実を見ると、職場環境を改善するために、社内に反対の声もあるなか交渉を重ね、何とかブース出展に至っているようなところもある。 主催者側も約27万人という非常に多くの、そして多様な人が集まる「場」を安定的に運営し続けるためには資金が必要で、企業との関係性が重要になる。その一方で、企業のプレゼンスが高まれば高まるほど、そもそも何のための・誰のための場所なのかという批判にもつながっていく。 ソーシャルセクターなど、社会的な活動を行う組織が、資金調達などの関係で、当初の目的から遠ざかっていってしまうことを「ミッション・ドリフト」という。企業の協賛、または公的資金であっても、意図の有無を問わず多くの非営利団体にとってこの壁は常に立ちはだかるものと言えるが、特に規模の大きさから東京レインボープライドへの注目度は高い。 海外のパレードを見ると、日本ほどブースに力が注がれているところはあまりなく、基本的にプライドパレードは「デモ」であり、路上を歩くマーチが重視されている。イベント会場での“お祭り”的な形態は珍しい。 企業が中心となっている点は各国でも問題視されていて、それを受けてか、例えば私も参加したオランダ・アムステルダムのプライドでは、LGBTQ+の難民のフロートや、より一層社会の周縁に置かれている人たちや人権団体が前方に位置付けられていた。 今年の東京レインボープライドでも、パレードの先頭はろう者でLGBTQ+のグループが歩き、その後、婚姻の平等を求めて活動するMarriage For All Japanのフロートが続いていた。 元来、パレードは政治的なものであるはずなのに、東京レインボープライドの掲げるテーマや姿勢は政治性を排しているという指摘が例年のようにあがっていたが、今年のテーマは「変わるまで、あきらめない。」だ。明確に法制度を変えることも目的としていた。 何十万人もの参加者、何万人もの行進、これだけの企業や団体、大使館、ステージ出演者、当事者コミュニティ、あらゆるステークホルダーと調整し、さらに会場にある2つのステージを運営することがどれだけ大変かは想像に絶するものがある。 企業の力を用いて、その規模を拡大させることによる社会的インパクトは大きい。政治は一向に変わらないが、世論としては婚姻の平等への賛成が多数になっていたり、あまり関心が高くない人からも「渋谷で毎年パレードやってるよね」という声が聞こえてくる。この社会の認識の変化に、東京レインボープライドという場は大きな貢献を果たしているだろう。 商業化し肥大化しているプライドは、何のための・誰のためのものなのかという視点は、運営組織だけでなく、ブース出展者、参加する一人ひとりにも常に考えられてほしいポイントだと思う。