能登地震ルポ 「直しても直しても終わらない」 激震と豪雨、復興の芽も爪痕色濃く
避難所からは笑い声が聞こえ、店の明かりも少しずつ増え始めていた。能登半島地震の発生から1年を前に訪れた被災地は、避難所の閉鎖や応急仮設住宅の整備が進み、復興の息吹きを感じさせた。ただ、倒壊したままの家屋も目立ち、9月の記録的豪雨による被害の爪痕も色濃い。被災者の傷が癒えるにはまだ時間が必要そうだ。 【写真】平成26年に撮影した輪島朝市。人が行き交い活気に満ちていた ■「やっと一歩」踏み出せる 「転々としたけど、ここの避難所が一番楽しかった。気の合う友達ができたからね」 石川県珠洲(すず)市の生涯学習センターに設けられた避難所で27日夜、無職の薮信子さん(75)は、談話スペースで友人2人とテーブルを囲んでいた。地震の避難所としてはこの日で閉鎖。豪雨の被災者9人は今後も残るが、薮さんは公営住宅に移ることになった。 自宅はわずかに傾き、気分が悪くなって住めないが、罹災証明書の判定は準半壊。仮設住宅に入れず、支援金も少ない。薮さんは判定を5回受け直したが覆らなかった。 6年前に他界した夫が大切にしていた自宅には愛着もある。薮さんは「もう十分あだける(暴れる)だけ、あだけたから、お父さんも許してくれるかな。やっと一歩を踏み出せるよ」と語る。 ■子や孫のために頑張る 建設関係者の決意 珠洲市の市街地では、夜営業の飲食店がここ3~4カ月で数軒増えたという。仕事納め翌日の28日、あるカラオケスナックは土曜にもかかわらず、建設業関係者であふれていた。50代男性は「今、一番直してるのは川の堤防。地震で壊れた道路とか港湾はあまり進んでいない。直しても直しても終わらないんだ」とぼやいた。 夜が更けると、隣に座っていた60代男性がウイスキーを片手に力説した。「何で俺たちが頑張れるか分かるか。子や孫が住んでいるからや」。漁港らしく漁師がテーマの演歌を熱唱していた。 ■厳しい冬、「助け合っていくしかない」 27日に全線開通した半島の大動脈・国道249号を珠洲から輪島方面へ車を走らせた。冬の日本海の荒波が押し寄せる海岸沿いを進むと、高さ数十メートルの山肌が崩れ落ちている様子が続くのが見えた。地震被害に豪雨が追い打ちをかけたのだろう。 輪島市の市街地を抜け、山間部を進んだ先にあるのが同市門前町の浦上地区だ。冷たい風が吹く中、解体作業を進める重機の音があちこちから聞こえる。傍らには1階部分がつぶれて手つかずの家屋が残る。