沖縄で戦没者の遺骨を40年も収集。「骨を掘る男」本予告編と著名人コメント公開
沖縄戦の戦没者の遺骨を40年にわたり掘り出してきた具志堅隆松さんの活動を追ったドキュメンタリー「骨を掘る男」が、6月15日(土)より東京のポレポレ東中野、大阪の第七藝術劇場、京都の京都シネマで、6月22日(土)より沖縄の桜坂劇場ほかで公開。本予告編と著名人コメントが到着した。 「骨を掘る男」予告編 激戦地だった南部を中心に、今も3000柱近くの遺骨が眠るとされる沖縄本島。これまでにおよそ400柱を掘り出した具志堅さんは、自らを“ガマフヤー”と呼ぶ。ガマは沖縄の自然壕、フヤーは掘る人を意味する。 砕けて散乱した骨、茶碗のかけら、手榴弾の破片、火炎放射の跡……。見つけた断片から、兵士か民間人か、どのような最期を遂げたかを推察し、思いを馳せ、弔う。掘ってみるまで埋まっているかはわからない。それでも掘り続ける行為を具志堅さんは、観念的な慰霊ではなく《行動的慰霊》だと言う。 監督は沖縄出身でこれが劇場長編デビュー作となる奥間勝也。自身が生まれるはるか以前に沖縄戦で亡くなった大叔母には、会ったことがない。具志堅さんの遺骨収集に同行し、沖縄戦の膨大なアーカイブ映像に目を凝らし、大叔母の生きた痕跡を探す奥間は、繰り返し自問する。「出会ったことのない人の死を悼むことはできるのか?」。──沖縄の歴史と今を見つめた注目作だ。
〈コメント〉
具志堅さんは、湿った土の中から 残された遺骨を、遺留品を、素手で掘り出してゆく この人は兵隊、この人はおじいさん こっちはお母さんで、こっちは幼い子ども 土色に染まった骨のかけらをくっつけるようにして ひとりひとりの輪郭を浮かび上がらせてゆく そして、これは、わたしの想い及ばない人のために 名前も遺骨も残せなかった人たちのこともまた 同じように悼む ──瀬尾夏美(アーティスト、詩人) 具志堅隆松さんという稀有な人物を導き手に、「失われた時」を探求する記念すべき傑作。遺骨と遺影をめぐる深い思索の末、まだ映像にどんな力が残されているかが触知される。本作を見た後は、沖縄の大地の見え方が決定的に変わってしまうだろう。 ──三浦哲哉(映画研究者) ベルが鳴り、暗転した瞬間、劇場がガマになる。あの湿気を含んだ土の匂い。汗ばむ澱んだ空気。ひんやりした地面の感触。掬い上げられる日を待ち焦がれていた死者たちの時間が,スクリーンから沁み出してくる。 「ああ、ようやく見つけてくれましたね」 「ここに娘も居るんです。どうぞ名前を呼んでやってください」 具志堅さんのアンテナに同期し、観客も聞こえないはずの声を聞き、見えないはずのものを共に凝視する体験。これは映画館でしか起きない魔法だと思う。 ──三上智恵(映画監督、ジャーナリスト) ガマに埋もれたままの骨は「国」に見捨てられて、80年近く地中深く眠る。その骨を40年以上堀り続ける。その「行動的慰霊」行為を5年間撮り続ける。まだ骨が埋もれている土は、米軍新基地建設の埋立工事に使われる。 過去・現在・未来の多層な時間も「埋め込まれ」たこの映画は、だから、「埋められて」見えない骨と時間の意味を問う。 ──太田昌国(民族問題研究家) 砂利とも人間ともつかない土をあてもなく掘り続ける、終わりなき追悼の作業。 暗闇の中、ささやくように骨に語りかけながら冷たい沈黙をすくい上げるガマフヤーの姿に畏怖の念を抱いた。 生きても死しても踏みつけられるのが弱者の定めなのか。そんな条理が認められていいはずない。 ──キニマンス塚本ニキ(翻訳者・ラジオパーソナリティ) どのカットのどのディテイルも、どの言葉も、どの編集の機微も、すべてがゆるがせにできない 尊厳をたたえている。たしきてぃくみそーれー。助けてください。シーンを追う私の眼は、洞窟 の中のガマフヤーのそれになる。死者とともにあるのでなければ、私たちは品位を保ちえないの だ。冒頭からエンドロールまで、涙が流れ止まない。こんなドキュメンタリーを、私は知らな い。 ──池田香代子(翻訳家) 沖縄戦での遺骨混じりの土砂を海に投げ入れてまでして、巨大な軍事基地をつくろうとしている 〈奴ら〉がいる。 その軍事基地が再び戦死者の遺骨を生み出す。民間人、軍人を問わず。戦死者の遺骨の無限再生 産。 言っておくが、他のどの土地の土砂を使おうとも、戦死者を生み出すことには変わりはない。 ガマフヤーの具志堅さんの渾身の手作業は、着実に〈奴ら〉の足元を突き崩している。 ──金平茂紀(ジャーナリスト)