伝えたかった戦争の悲惨さ。ピカソが絵画『ゲルニカ』に描いたものとは?
世の中にはたくさんの絵画がありますが、誰もが知っていて「名画」と呼ばれる作品はごく一部。例えば、ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』、葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』、ゴッホの『ひまわり』。一体、これらの名画にはどんな“すごさ”があるのでしょうか? 【画像を見る】浪費家でやりたい放題の画家モネと、青春時代を過ごした仲間たち/5分でわかれ!印象派(1) 1年に300以上の美術展に足を運び、ブログやSNSでレビューを行う青い日記帳さんは、「名画とは、その時代に誰も知らなかった方法やテーマで世の中を驚かせた作品を意味します」と話しています。それでは、青い日記帳さんの解説とともに、時代背景や画家の知られざるエピソードをふまえて名画をじっくり楽しんでみましょう! ちょっと敷居が高く感じる美術鑑賞が身近なものになりますよ。 ※本記事は著/青い日記帳、監修/川瀬佑介の書籍『名画のひみつがぜんぶわかる! すごすぎる絵画の図鑑』から一部抜粋・編集しました。 ■苦しそうな人間や動物がたくさん。ピカソ『ゲルニカ』の秘密 この作品を見て、どんな気持ちになりますか? 恐ろしい、悲しい、かわいそう……。それこそが、この絵を描いたパブロ・ピカソの狙いでした。 1936年に起こったスペイン内戦。ゲルニカという街に爆撃が行われました。それに対する抗議と、戦争の悲惨さを伝えようと描かれたのです。 目に飛び込んでくるのは、何かを訴えるかのように、画面のあちこちに描かれた泣きさけぶ顔。死んだ我が子を抱えた母親、 折れた剣を握りしめながら死んでしまった兵士、戦争に巻き込まれた牛や馬といった動物たち。 戦争の悲劇をこれだけダイナミックに表した作品はめずらしく、平和を願う気持ちを表した世界的な名画として知られます。ちなみに、大きさは縦3.5m×横7.8mと大きいもの。 内戦後、ピカソはスペインに樹立された独裁政権に反対したため、この作品を母国には送らず、長い間ニューヨーク近代美術館に保管されていました。1981年にスペインへ返還され、現在はソフィア王妃芸術センターで公開中です。 ■悲しみに満ちた、"反戦のシンボル"である一枚 ピカソが母国で起こった内戦を受けて描き、パリ万博で発表した作品。1か月弱という短期間で仕上げるため、油絵具よりも早く乾き作業効率のよい工業用ペンキで描きました。 『ゲルニカ』1937年/ソフィア王妃芸術センター(スペイン、マドリード) 【豆知識】 ピカソ本人の指示で作られた、ウールなどで織られたタペストリーの「ゲルニカ」が世界に3点あります。ニューヨークの国連本部、フランスのウンターリンデン美術館、そして日本の群馬県立近代美術館です。 著=著/青い日記帳、監修/川瀬佑介/『名画のひみつがぜんぶわかる! すごすぎる絵画の図鑑』