ティモンディ・前田裕太「僕は高校時代に一度、死にました」どん底を経験して今感じることと「家族への後悔」
バラエティ番組やラジオ番組などで活躍中のティモンディ前田裕太さん。小学生で始めた野球では将来有望な選手として強豪校に進学。しかし、高校3年の夏の試合で大きな挫折を味わいます。どん底まで突き落とされた当時の話、ご家族についてお聞きしました。 【画像】目がキラキラしてますね!野球を始めたばかりの小3ごろの前田さんや高校時代の相方・高岸さんとの貴重なツーショット ほか(全15枚)
■心から100%「嬉しい」と思えない、冷静な自分 ── ティモンディといえば、ナチュラルハイの高岸さんと冷静沈着な前田さんのメリハリコンビ、というイメージですが、ご自分のことをどんな性格だと思いますか?
前田さん:2面性がある、というのかな。世界に絶望しつつも人に期待していたり、諦めながらもどこかで希望を持っていたり。一人で生きていくつもりでいながらも、どこかで愛を信じていたり(苦笑)。心から100%「嬉しい」と思ったことがあまりないというか、どこかで「こんなことで喜んでいる場合じゃないだろ」とツッコむ厳しい自分を感じるんです。 一人の時間だけは世間から隔絶されて、自分の感情を自由に出せるので、困ったものでどんどん一人が好きになっちゃいますね。
── 嬉しいことも100%楽しめないのは大人になってからですか? 前田さん:一番大きな出来事でいうと、高校3年生までずっとやってきた野球で世に名を残すという夢がもろくも崩れ去った経験からかもしれないです。「野球は自分の人生すべてだ」と思って打ち込んでいたので、「前田裕太という人間は一度死んだ」くらいの感覚でした。
■自分は『タッチ』の上杉達也だと信じていた ── 野球にすべてを捧げていたからでしょうか…。野球はいつ頃、どんなきっかけで始めたのですか?
前田さん:小学3年生のとき、親から「友達もやってるから、やってみたら?」と言われて、「一回やってみようかな」と軽い気持ちで始めました。子どもの頃は、体操、水泳、サッカーといろいろな習い事をしていたのですが、どれもあんまり続かなくて。野球も習い事の一つとして始めたんです。 そうしたら、コーチとかが褒めてくれるのがうれしくて、楽しくて、気づいたら本気で野球をしていました。小学低学年の頃は、みんな特定のポジションはなくて、打って守って…をひたすら練習していましたね。4、5年生くらいからはピッチャーでした。高校に入ると外野も守ったこともあります。
【関連記事】
- 【画像】目がキラキラしてますね!野球を始めたばかりの小3ごろの前田さんや高校時代の相方・高岸さんとの貴重なツーショット ほか(全15枚)
- 【画像あり】ティモンディ・前田裕太「名門・済美高校で甲子園に行けなかった僕」無気力な日々を支えた意外な人物との卒業までの半年間
- ダルビッシュ有の母・郁代「あの子や、あの子!と指を指されて…」教室でも野球でも“ハーフ”と呼ばれ、人に気を許さなかった息子が徐々に心を開いた「1本の電話」
- ダルビッシュ有の母・郁代「塾も野球も辞めたい」と言いバレーボール部に体験入部するも、再びマウンドに立ちたいと思わせた予想外の「言葉」
- ダルビッシュ有の母・郁代「一度だけ大泣きしました」50校近い高校からスカウトがくるも「まだギリギリ辞められるよ」と車中で話した親子の会話