<チ。>女性軽視の時代、学びを奪われる少女の絶望が胸を打つ…天文を題材に思料して見る物語
アニメ「チ。-地球の運動について―」(毎週土曜深夜11:45-0:10、NHK総合/Netflix・ABEMAで配信)の第7話「真理のためなら」が11月9日に放送された。本作は魚豊による同名漫画を原作としたアニメ作品。地動説の可能性を信じ、証明することに自らの信念と命を懸けた者たちの物語が描かれていく。今話では新キャラクターの少女、ヨレンタ(CV.仁見紗綾)が登場。無意識の女性軽視がヨレンタを苦しめる、胸の痛いエピソードとなった。(以降、ネタバレが含まれます) 【写真】どう見ても聖職者には見えないバデーニ ■女性であるという理由だけで学びを奪われる社会 これまでの作中言語や人物名、街、社会の風景から、「チ。」が中世の欧州国をモデルにしているのは明らかだ。今話から登場したヨレンタという少女は、この時代、この地における女性の地位を示す象徴的なキャラクターだった。つまり、男尊女卑、女性軽視。なにも特定の国、地域の話でなく、世界中でのことだったのは歴史がさんざんに証明してくれている。現代ですら“ガラスの天井”と叫ばれているのだから、当時の状況は比ぶべくもないだろう。史実をなぞっているわけではないとは言え、本作は深い思料を持って見られる物語となっている。 天文研究において優れた才能を持っているヨレンタは弱冠14歳にして宇宙論の大家の天文研究所に研究助手として採用されたが、そこで働く女性はヨレンタただ1人。「女性だから」という理由だけで同僚の男性たちにより研究会から締め出され、学びの機会を奪われる絶望の日々を送っていた。 父親からも、「働けているだけでもたいしたもの」と言われ、娘が優秀であるがために男性の妬みを買わないように、「職場では何もするな、目立つな、栄光を目指すな」と釘を刺される。ただそれでも、学者としての信念を語る娘を応援すると言ってくれるヨレンタの父はまだ理解のある方だった。 社会的に女性が“個”を主張するのは困難な環境であったのは想像に難くなく、何より男性側に女性軽視が差別ではなく、悪意のない区別として常識化しているからだ。その良い事例の1つが、ヨレンタが助手として付く先輩研究者コルベ(CV.島崎信長)の存在だった。 ■悪意がないからこそ根深い、社会の常識にある女性軽視 コルベはヨレンタを優秀な助手として認めているが、そこに“女性の”と付くのは他の同僚と同様だった。彼はヨレンタが書いた論文を「面白い」と評価して、研究所で教鞭を執る宇宙論の大家・ピャスト伯に提出をすることを勧める。しかし、ヨレンタの論文は、女性であるヨレンタの代わりに、コルベの名義で提出されていた。 いわゆる論文の剽窃だが、コルベにはその意識はなく、むしろヨレンタを助けるという意識での行動であることが社会に根づく問題の深さをうかがわせる。コルベは全く悪意なく「女性の論文なんて誰が読むの?」とキョトンとした顔で言い、むしろヨレンタを保護しているとばかりに「女性の名前で発表なんて危険すぎる。内容に不適切な箇所でもあったらすぐに魔女扱いされて最悪、異端として殺される」と述べたのだ。 2人の会話は偶然通りかかったピャスト伯に聞かれることとなったが、ヨレンタはコルベに言われたことが脳裏をよぎり、自分が書いた論文であると言い出せずに終わってしまう。悲しいのはこのときのヨレンタが引いてしまい、悔しさより諦めで「これが私の現実だ」と受け入れてしまったこと。建物の影から見上げて見える“最上の景色”は、“ガラスの天井”が重なる演出だった。 ■ヨレンタを突き動かす“真理のためなら” 不条理だが当たり前の常識。それに抗えないまでも、学びを止めないために次の題材を探そうとヨレンタは自分を奮い立たせる。天文を題材に知への探究心、真理のためには危険を顧みない探求者の姿が描かれる本作にあって、ヨレンタもまた知識の渇望が止まらない人物だった。掲示板に見つけた天文の問題文は、そんなヨレンタを大いに刺激する。 惑星の観測記録がなければ解けないその問題は、より多くの観測記録を持つ者との接触を図るためにバデーニ(CV.中村悠一)が用意したものだ。問題の答えを知りたい欲求に駆られたヨレンタは規則を破り、無断で書庫の文献を閲覧。導いた解答を掲示板に貼る。ヨレンタの様子から察するに、こんなことすらも女性にとっては危険な行為であったらしい。 誰かに見咎められないかと戦々恐々の面持ちでいたヨレンタを見つけたバニーデとオクジー(CV.小西克幸)。この出会いは3人をどう結びつけるのだろうか。 ※島崎信長の崎は、「立つ崎(たつさき)」が正式表記です。 ◆文=鈴木康道