軍艦島で生まれ育った人が「本当に楽しかった」と追憶…炭鉱労働者の島「6畳+4畳半」で家族8人の暮らし
■神社の祭りやメーデー、夏祭りは島をあげて盛り上がった 軍艦島では、神社の祭りやメーデー、夏祭り、運動会、文化祭など、行事はすべて全島をあげて盛大に行われていた。中でも毎年4月3日に行われた、大山祇神を祀る「山神祭」は、島民にとって最も重要な祭りだった。ヤマの神である大山祇神を祀る端島神社は、常に危険と隣り合わせで働いている炭鉱員や、その家族にとっての心の拠りどころだった。祭りの日は、神主の祈祷を受けた神輿を大人たちが担ぎ、島内を練り歩いた。 そのあとを子どもたちが担ぐ樽神輿がついてゆく。笛や太鼓の音色に、担ぎ手の威勢のよい掛け声が響き渡り、朝から島内は大盛り上がり。24時間フル稼働で行われていた坑内での仕事も、この日ばかりは休みとなったそうだ。午後になると、女性は奉納踊りを、子どもは相撲大会などの各種催し物も行われた。 ■全島民が参加していた盆踊り、島民オリジナルの「端島音頭」 毎年5月1日に世界各地で行われている労働者の祭典「メーデー」も、軍艦島の一大イベント。島民のほとんどが主催の端島労働組合関係者だったため、みんなが楽しみにしていたという。前夜祭ではダンスパーティや歌合戦、時にはラジオを真似た「部会対抗ラジオ人気番組大会」などが行われ、これもまた大盛り上がりだった。当日は、迷路のように入り組んだ坂道や、恐ろしく長い「地獄段」などを、時には家族連れでデモ行進をして集会が行われた。狭い島内を、声を上げながら練り歩く様子は圧巻だったという。 夏がくれば、盆踊りだ。定番だった『端島音頭』は、作詞・作曲・振り付けすべてが島民によるもの。名調子に乗って7番まである歌詞には、島の心象風景が盛り込まれていて、当時の様子をうかがい知ることができる。
■各家庭で作った船を海に流すお盆の「精霊流し」の美しさ また、お盆には精霊流しも行われていた。初盆を迎えた故人を極楽浄土へ送り出す長崎の伝統行事だ。各家庭を出発した手作りの船「精霊船」は、端島小中学校のグラウンドに集結し、その後海に浮かべられ、沖まで持っていっていた。灯籠の灯がゆらゆらと揺れる様子はどこかはかなくて美しい、夏の夜だけに見られる特別な光景だった。 期日は決まっていなかったが、会社(三菱鉱業)の運動会、翌4日には文化祭が開催された。運動会は、小学生から大人までが参加する島一番のスポーツの祭典。特に、アパートの立地場所をもとに決められた地区別と、職場別チームによる対抗リレーに島民は白熱した。 一方、体育館と公民館を使った文化祭では、絵画や写真、生花、書道などプロ顔負けの作品がズラリと並んでいたとか。島内では、スポーツとともに文化芸術活動も盛んだったようだ。 ---------- 風来堂(ふうらいどう) 編集プロダクション 編集プロダクション。国内外問わず、旅、歴史、アウトドア、サブカルチャーなど、幅広いジャンル&テーマで取材・執筆・編集制作を行っている。バスや鉄道、航空機など、交通関連のライター・編集者とのつながりも深い。編集した本に『秘境路線バスをゆく 1~8』『“軍事遺産”をゆく』『地下をゆく』(イカロス出版)、『攻防から読み解く「土」と「石垣」の城郭』(実業之日本社)、『路線バスの謎』『ダークツーリズム入門』『国道の謎』『図解 「地形」と「戦術」で見る日本の城』『カラーでよみがえる軍艦島』(イースト・プレス)、『ニッポン秘境路線バスの旅』(交通新聞社)、『2022年の連合赤軍 50年後に語られた「それぞれの真実」』(深笛義也著、清談社Publico)、『日本クマ事件簿』(三才ブックス)などがある。 ----------
編集プロダクション 風来堂