2025年のNHK大河「蔦屋重三郎」、あの「蔦屋書店」との”意外な関係”を「会長」がみずから明かす…!
戯作・狂歌・歌舞伎などの文化をリードした“江戸のメディア王”蔦屋重三郎(蔦重)。彼を主人公にしたNHKで2025年放送の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」が1月からスタートする。 人気俳優・横浜流星が演じる蔦重は吉原出身。己の才覚一つでメディア王の地位にまで駆け上がるが、その生涯を描いた『べらぼう完全読本』(産経新聞出版)がさっそく人気になるなど“蔦重ブーム”が始まっている。とりわけ、「蔦屋書店」を営むカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(CCC)会長・増田宗昭氏へのインタビューは評判で、蔦屋書店と蔦重との“関係”についても話されている。そんな話題のインタビューから一部抜粋・再構成してお届けする。
「蔦屋」はかつて置屋だった!
(蔦屋書店は)蔦重とは血縁関係があるわけではなく、また僕が事前に蔦重をしっていたから店名に選んだというわけでもありません。祖父が営んでいた家業の屋号が「蔦屋」であったことと、当時の書店は「〇〇屋書店」という屋号が多かったこともあって、昭和58年に開業した1号店を「蔦屋書店枚方店」と命名しました。 「蔦屋」といのは、祖父の副業だった置屋の屋号です。祖父の本業は「増田組」という、現在のゼネコンのような仕事をしていました。土木業者は仕事があるときとないときの差が激しく、副業の置屋を営むことで収益を安定させようとしました。
「蔦屋のボンボン」、屋号に愛着
大阪・枚方は江戸時代の「東海道五十七次」の56番目の宿場であり、当時はまだ枚方大橋が架かっていなかったため、船を利用する人が宿泊する場所として栄えました。 祖父は枚方を代表するような置屋を作り、屋号を「蔦屋」としたのです。 もしかすると蔦重のことを知っていて、それにあやかって屋号を「蔦屋」にしたのかもしれませんが、これはわかっていません。 祖父の置屋は昭和33年に廃業しましたが、「蔦屋」の屋号はそのままずっと残っていました。僕は小さい頃「蔦屋のボンボン」と近所で呼ばれていたので、「蔦屋」の屋号には愛着があり、新しい事業をはじめるときは「蔦屋」を使いたいなと思っていました。
江戸のメディア王にあやかりたい
「蔦屋書店枚方店」をオープンした日に、「広辞苑」の「蔦屋」の項目が印字されたお祝いのファックスが届きました。 このとき思わず膝を打ち、祖父が蔦重のことを知っていて「蔦屋」と名付けたんだと勝手に解釈し、それ以来、蔦屋重三郎の「蔦屋」なんだよと言い始めたわけです。 それを機に蔦重のことを調べ、蔦重が江戸時代を代表するプロデューサーであったことを知り、僕もそれにあやかって「現代のプロデューサー」になれたらと思ったことを覚えています。
産経新聞出版