「とにかく悔しくて、先生に泣きついた」“二刀流棋士”一力遼が明かした〈囲碁世界一〉への道程
「囲碁のオリンピック」とも称される国際大会「応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦(応氏杯)」に出場し、優勝した一力遼棋聖が「 文藝春秋 」のインタビューに応じた。日本の棋士がメジャーな国際大会で優勝するのは19年ぶりで、その快挙に日本中の囲碁ファンが沸いた。 【画像】中国の囲碁ファンにサインする一力氏
世界タイトル奪取までの道のり
一力棋聖は、父が社長を務める東北を代表する地方紙・河北新報の記者兼取締役でもあり、「二刀流」の棋士として知られる。「世界タイトル奪取は日本囲碁界全体の長年の悲願だった」という一力棋聖が、世界制覇までの長い道のりを語った。 「私が祖父の手ほどきで囲碁を覚えたのは、2003年の春、5歳の時でした。地元仙台に住んでいた私は、小学校5年生の時に母とともに上京し、洪清泉四段が主宰する洪道場に通い始めます。洪先生の下では、定期的に韓国の道場に遠征する機会があるのですが、初めて参加した遠征の交流戦では韓国の道場生たちに惨敗を喫しました。しかも、親睦を深めるために行われたリレーやサッカーでも勝てなかった。その時はとにかく悔しくて、洪先生に『僕はどうすればいいんでしょうか』と泣きついたほどです。 さらに、この韓国遠征の数カ月後、『応氏杯ワールドユース大会』というジュニアの世界戦にも出場しました。この時は決勝戦まで進むことができたのですが、そこで負けた相手が、今回の応氏杯の準決勝で戦った中国の柯潔さん。本当に悔しくて、今にして思えば、この時が初めて日本代表として世界で勝つことを強く意識した瞬間でした」
日本の棋士が勝つための、様々な体制づくり
日本は囲碁で長らく中国、韓国の後塵を拝してきた。一力棋聖は幼少期に中韓で武者修行をした経験から現状に危機意識を覚え、サポート役の棋士の世界戦への帯同など、日本の棋士が世界戦で勝つための様々な体制づくりを日本棋院に進言したという。 「家業でもある河北新報社の取締役も兼務しているせいか、自分ではそれほど意識していないのですが、他の棋士から『組織全体を見渡す視線がある』と言っていただくことが増えました。今回、応氏杯優勝という成功例を作ることができたので、今後はサポートの帯同をはじめとした体制が定着していくのではないでしょうか。今回の結果を受けて、日本囲碁界がより良い方向に進むことを願っています」 「 文藝春秋 」12月号では、世界で勝つために日本棋院に進言した提言の内容、さらに、日本が囲碁で中韓に勝てなくなった要因の分析や、世界戦で勝つために行った自身の「モデルチェンジ」、日本囲碁界の未来についてくわしく語っている。 一力遼棋聖への インタビューの全容 は、「 文藝春秋 電子版 」および「文藝春秋」12月号(11月9日発売)に掲載されている。
「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2024年12月号