ユダヤ教以前に存在した一神教とは? 古代エジプト「異形の王」が挑んだ宗教改革に、フロイトの驚きの学説!
創造主である唯一の神を信仰する一神教。「世界宗教」といわれるキリスト教とイスラム教が典型であり、その母胎ともいえるのがユダヤ教だ。しかし、ユダヤ教以前にも一神教誕生の契機はあった。そのひとつが古代エジプトの「アマルナ革命」とも呼ばれる宗教改革である。新シリーズ「地中海世界の歴史〈全8巻〉」の第1巻『神々のささやく世界』では、これを「人類史上の大事件」として取り上げている。 【写真】古代エジプトの「異形の王」
アメンヘテプ4世の「アマルナ革命」
「一神教」が世界史にもたらした影響について、「地中海世界の歴史」(講談社選書メチエ)の著者で東京大学名誉教授の本村凌二氏はこういう。 「一神教っていうのは、いまや我々は当たり前のように感じていて、それが宗教というものだと思っているけれども、だいたいどこの文明でも、本来は「神々の世界」だったわけです。しかし、ユダヤ教やキリスト教のように、唯一神だけを信じて、ほかの神々は認めないっていうのは、非常に大きな文明的な変化なわけです。その後の国家や民族、文化や思想のありかたを強く規定したといえるでしょう。」 そして、このユダヤ教誕生に先立って、エジプトで唯一神への信仰に情熱を燃やした王がいた。エジプト第18王朝のファラオ、アメンヘテプ4世(アクエンアテン)である。 いまに伝わるこの王の姿は、なんとも不気味なものだ。 〈そこには頭も顔も異様に長く、尖った顎がある。目は細く切れ長であり、唇は分厚くつき出ている。さらに、首はくねくねとしているのに、胸はふっくらしており、腹と太腿は丸々としている。そのくせ、足は細々としており、なんたることか男根の形跡がない。〉(『神々のささやく世界』p.195) 紀元前1367年頃に即位したアメンヘテプ4世は、治世当初はそれまでのファラオと異なることはなかった。しかし、治世5年目頃に、様相は一変する。それまでの王都テーベからの遷都を宣告し、宗教改革を断行したのである。新都アケトアテン(現アマルナ)を建設し、ひたすらアテン神に帰依することを宣言した。 アテン神とは、王みずからが起草したとされる『アテン讃歌』によると、太陽神であった。太陽神ラーへの信仰はエジプトには古くからあったが、さまざまな神々を信仰した多神教のなかでの太陽神ラーとは異なり、アテン神は「それ以外は存在しない唯一の神」とされたのである。 アメンヘテプ4世は、みずからの名も「アクエンアテン(=アテン神に有用なる者)」と改めた。そして、アテン神のみを唯一神として崇めるいっぽうで、ほかの神々への信仰を禁止してしまう。 いつしか組織的な迫害が始まり、旧来のアメン神を主神とする神々への祭祀は停止される。古来の神殿は荒れるにまかせ、あらゆる偶像崇拝が禁止され、古い神々の名は碑銘から削りとられた。 アクエンアテンの一神教への改革はあまりにも唐突であった。 いまも昔も、多くの人々は現状を変えることに慎重なものであり、とりわけ保守的な支配層は極端な改革を望まない。なかでも、「神々の世界」を当然のごとく考え、宮廷にまで大きな勢力をもっていたアメン祭司団には大打撃であった。 このために、近年の研究では、この宗教改革は、宮廷内の旧勢力を排除するための政治改革だったとする見方もあるという。しかし、本村氏は少し違う角度から解説している。 〈たしかに、この改革には国家経営にからむ冷めた思惑が感じられないわけではない。一見すれば、現実的でわかりやすい説明ではあろう。だが、そのような王権の政治的駆け引きだけに目をうばわれすぎれば、大事なことを見過ごしてしまうのではないだろうか。〉(『神々のささやく世界』p.197) 「多神教から一神教へ」という変革は、単なる政治的駆け引きに収まらない、人類史にとってはかりしれないほどの大きな意味をもっている、というのだ。 〈その後の歴史をみれば、「唯一神への信仰」という精神のあり方が、政治・経済システムの成り立ちや、国家間の争いと協調に与えた影響は極めて大きく、しかも、文化・芸術においても劇的ともいえる新様式を生み出しているのだ。今日、われわれは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教としてくくられる信徒世界があることに当然のごとくなじんでいる。だが、世界史あるいは人類史として冷静にながめれば、ここに見られる唯一神への心性の変化は、当時の人間たちにとって想像し難い大きな出来事であったのではないだろうか。〉(同書p.197) アクエンアテンの改革は、それまでのエジプト美術を打破した新たな芸術も生んだ。写実性を大きな特徴とする「アマルナ芸術」だ。アクエンアテンの正妃として改革を支えたネフェルティティの胸像やツタンカーメンのマスクは、その代表作である。