【阪神】原口文仁 球界前例なし 大腸がん乗り越え国内FA権取得「1軍の戦力になれた証し、素直にうれしい」
阪神・原口文仁内野手(32)が29日、出場選手登録期間が8年に達し、国内フリーエージェント(FA)権の資格取得条件を満たした。帝京高から2009年ドラフト6位で阪神に入団。育成契約、ステージ3bの大腸がんと数々の苦難を乗り越え、節目の日を迎えた。広島戦(マツダ)は雨天中止。プロ15年目のチーム最古参は周囲への感謝を口にし、球団史上初の連覇に向けた熱い思いも明かした。 これまでの人生を支えてくれた多くの人の顔を思い浮かべると、原口の胸にはあふれんばかりの感謝の思いが込み上げた。進行程度「ステージ3b」の大腸がんを発症して19年1月に手術を受け、同年6月に復帰。「がん患者の希望の星」を目指し、必死に生き抜いてきた不屈の男は、FA資格の取得をしみじみとかみしめた。 「若い頃たくさんけがもあったり、病気もしたり、そういった中で1軍で活躍することを目標にやってきた。1軍の戦力になれた証しだと思うので、素直にうれしい」 プロ野球史においても前例のない、がんを乗り越えての国内FA権取得。プロ15年目、秋山と並ぶ生え抜き最古参の歩んできた道のりは、険しく、試練の連続だった。腰痛などの影響で13年から育成契約。しかし、一度たりとも心が折れることはなかった。当時、球団本部付育成&打撃コーディネーターを務めていた掛布雅之氏=スポーツ報知評論家=の「一人でやる野球を大事に」という言葉を胸に、鍛錬を繰り返した。 2軍全体練習の1時間前から室内で一人、打撃練習を始めるのが日課。不断の努力と長打を兼ね備える打撃を当時の金本知憲監督に認められ、16年4月に支配下復帰を果たした。「自分なりに若い時からやることをやってきた。掛布さんと金本さんに表舞台に立たせていただいて、今があります」 今季は代打の切り札として、球団史上初の連覇を狙う。ここまで10試合に出場し、10打数3安打の打率3割と存在感を示している。権利行使に関しては「連覇に向かってチーム一丸になっているので、そのことしか考えられない」と語るにとどめる一方、「今でも同じ患者さんから手紙やファンレターが来て励まされる。病気などで苦しんでいる方々に希望を与えられるように」と、変わらぬ思いも明かした。 小学生時代に地元の商業施設で開催された巨人のイベントで、当時現役だった阿部監督と握手した。分厚い手のひら、かっこいい背中に憧れて、プロ野球選手を志すようになった。「甲子園でホームランを打ちたいし、お立ち台にも立ちたい」。尽きることのない野球への思い、そして感謝を一打に込め、原口はこれからも戦い続ける。(中野 雄太) ◆阪神・原口のがん公表後経過 ▽2019年1月24日 ツイッターアカウントを開設。18年末に人間ドックを受診し、年明けに大腸がんと診断されたと公表 ▽同31日 ツイッターで「先日、無事に手術終えました」と報告 ▽同2月6日 退院していたことを明かす ▽同3月7日 2軍本拠地の鳴尾浜で術後初めてチームに合流 ▽同5月8日 ウエスタン・中日戦(鳴尾浜)で172日ぶりに実戦復帰。代打で右飛 ▽同6月4日 1軍に復帰し、交流戦初戦のロッテ戦(ZOZO)で9回1死三塁、代打で左越え適時二塁打 ▽同7月9日 球宴にプラスワン投票で選出 ▽同14、15日 球宴第1戦(東京D)で9回2死一塁で代打2ラン。敢闘選手賞に輝いた。第2戦(甲子園)でもソロアーチを放ち、マイナビ賞とツイッター賞を受賞 ▽同11月11日 がんからの復帰を評価され、セ・リーグ特別賞を受賞 ▽同24日 球団事務所で会見を開き、がんの進行程度が「ステージ3b」だったと公表 ▽同12月7日 小児がんなどの医療ケア施設「チャイルド・ケモ・ハウス」(神戸市)にシーズンの安打、打点数に応じた寄付を20年から開始すると発表 ▽24年1月23日 自身のX(旧ツイッター)で大腸がんの完治を報告
報知新聞社