「フェムテック」の生みの親たちが語る、その未来。
Amina 千葉県生まれ。タンザニア、日本、英国で育ち、ドイツの大学で生化学を専攻。東京大学大学院を経て、2017年、ロンドンの大学院で公衆衛生学博士を取得。17年に帰国し、シンクタンクやベンチャーキャピタルに参画。19年、日本で初のフェムテックイベント「Femtech Fes!」を開催したことをきっかけにフェルマータを創業。フィガロジャポンBWA Award 2021 Awardee。https://hellofermata.com/ Amina 私の父はマレーシア人で母は日本人、小さい頃はアフリカで育ちました。また、パレスチナにも友人がいたので、難民キャンプに訪れたこともあります。 難民キャンプや男性が周りにいる時にフェムテックの話はしなかったのですが、ある日、その友人の家に招かれたんです。リビングで出会った彼女のお姉さんとお母さんが私の仕事に興味を持って。少しずつ、少しずつ、説明をしてみた。すると、友人のお姉さんたちが近所の人たちに「この女性、すごくおもしろい話をしているから、ちょっと来ない?」って。最終的に20人ほどの女性がリビングルームに集まって、さまざまな話をしました。 その時実感したのは、文化の違いや宗教の違い、規範の違いは確かにある。でも心身の健康課題という根本的なニーズはどこも一緒で、話し合える環境をどう作っていくか、ということ。 イダ そうですね。フェムテックはグローバルでもあると思う。だからみんなで協力して取り組むことで、そうした場所でも何かできるんじゃない? 後押しをしてやることで変化が起きる可能性もある。 Amina ええ。まさにイダが「フェムテック」という共通言語をつくって私たちを強力に後押ししてくれたおかげで、日本のフェムテックはとても広がりを見せていますよ。
――いまフェムテックは広がりをみせています。フェムテックが浸透したその先には何があると思いますか? イダ まだすべきことはたくさんあるので、"ポストフェムテック"がこないことを願っています。女性とテクノロジーは出合ったばかり。将来的には、フェムテックは予防医療や精密医療の世界にまで広がり、もっと私たちの生活に密着したものになっていくと思う。 Amina 私たちのチームでも、よくポストフェムテックの話をします。私たちが目指すのは、女性の健康に関わる製品やサービスがフェムテックという言葉を使わずとも簡単に手に入る、そんな時代です。 イダ 私もそんな時代がくることを願っていますが、生物学的に特有のニーズもあるから、フェムテックという言葉は残ると思う。ただし、言葉の意味が変わってくるんじゃないかな。 Amina そうかもしれない。いまはフェムテックという言葉を使う人たちが自ら定義を限定してしまっている気がします。本当は明確な定義などないのだから、一緒に定義を広げていってくれればうれしいです。 イダ 広げていくとともに、深めていきたいですよね。フェムテックは確実に変容しているし、大きく変化しています。 Amina そう。20年、50年後に子どもや孫が私たちに「まだそんな古い言葉使っているの?」と言う日が来るんじゃないかな、と思っています。 ここ数年、日本でも大企業がフェムテック分野への新規参入や投資に乗り出していますが、当初は女性だけのチームを組んで何か考えなさい、という空気だったのが、最近は性別を問わずにチームが組成されるようになってきました。 イダ それは先進的ね。日本に学ぶべきこともあると思っています。日本では政府がイニシアチブをとってフェムテックに力を入れているとも聞きました。ドイツにはないことだから、とても刺激的。Aminaがドイツに来て政府の人たちに話をしてくれませんか?(笑)
――フェムテックやフェムケアをはじめ、いま自分が抱える課題を表面化して起業したいという女性が増えているように感じています。彼女たちにメッセージをお願いします。 イダ 一番重要なのは、私たちは課題が何かを知っているということ。それを否定する人もいるかもしれませんが、市場があると考えるのなら、どうか自分を信じてほしい。 Amina 自分がアクションを起こしたら、広い意味でインパクトに繋がるという経験をしてほしいと感じます。自己効力感が大事。自信を持つためにも、ぜひチャレンジしてみてください。
photography: Mirei Sakaki text: Atsuko Koizumi