芸術と農業のいいカンケイ 福岡県福津市で暮らす「芸農人」に聞いた
祖母の褒め言葉
寺嶋さんは、同県うきは市の出身。特に熱心に絵を描き始めたのは、「解離性障害」を発症した小学6年生の頃でした。 周囲からの強いストレスが原因とされる疾患で、寺嶋さんの場合、一時は食べ物の名前さえ分からなくなり、勉強も苦手に。学校に行けない日も度々あったそうです。 自宅ではよく、台所で絵を描いていました。「おばあちゃんがいつも褒めてくれて。『ベレー帽かぶって画家になれ』が口癖でした」 高校に進むつもりはありませんでしたが、周囲の勧めで特別支援学校へ。「行って分かったことがあって。『表現は人それぞれ。自由でいい』――ということです」 同じ絵でも、背の低い人が見ると作者の意図とは違ってペンギンに思えたり、目の見えない人には空が「青」ではなかったり。多様な感性に触れたことは、自身の創作の幅を広げました。現在の「教えない」ワークショップも、それぞれの「自由」を大切にしたいとの思いで生まれたスタイルです。 学校を卒業した2016年、障害者施設で働き始めました。それから間もなく、祖母が他界し、一時は絵を描く気力もなくなりましたが、周囲の励ましで再開。給料で買ったアクリル絵の具を使い、色鉛筆が中心だった学生時代よりカラフルな作品が増えました。 「埋もれるのがイヤ。『自分の絵』と分かるものを描きたい」 17年、介護施設の職員に。同年には東京パラリンピックを前に開かれたパラアーティストの巨大アートコンペで優秀賞に輝き、東京のJTB本社ビルに展示されました。また、母が地元で企画した個展を機に、「僕でもやれる」と自信が生まれ、招きに応じて各地で開くように。次第に、企業などから、ロゴやイラスト制作の依頼も舞い込むようになりました。
農業は“健康法”
コロナ禍もあり介護施設での勤務とアート活動の両立が難しくなり、20年に退職。父方の祖父(94)のサポートと作品制作に注力するため、祖父の住む福津市へ移りました。 海岸の清掃を通じて22年に出会ったのが、現在、アーティストグループ「音夢晴r樹(ネムハージュ)」としてともに活動するステンドグラス作家の衛藤直子さん(50)です。 「夜に眠れない」ことを衛藤さんに相談し、勧められたのが農業でした。糸島市の稲作農家を手伝う中で無農薬、無化学肥料栽培を学び、22年秋頃から福津市内の親戚の畑(約1000平方メートル)を借り、自ら野菜や果物を育てています。 土地に合う作物を探るため、当初は様々な種類に挑戦。この冬は白菜やタマネギ、イチゴなどを育てています。収穫した作物は、個人宅や飲食店に定期的に届けるほか、個展の会場でも販売しています。 「絵は、比較的(生活に)余裕のある人に(需要が)限られがちですが、食べ物はみんなに必要。アートとはまた違った人と接点ができ、やりがいも感じます」 オクラをモチーフにしたトレーナーをつくるなど、農業は創作のテーマも与えてくれます。何よりありがたいのは「夜、しっかり寝られること」といいます。「一日中ずっと絵を描いていると、夜に寝付けない。日中、農業をすることで体が疲れて眠ることができます」 なお、「音夢晴r樹」という一風変わったグループ名は、寺嶋さんと衛藤さんがともに好きな漢字「音」「夢」「晴」「樹」の4字と、アート(art)の中で芽吹いた双葉のように見える「r」に由来します。 2024年は、寺嶋さんにとってますます「チャレンジの年」になりそうです。夏には、たくさんオクラを育てて地域の子どもたちを招き、初のイベント「オクラ狩り」を予定。イチゴ狩りのように、愛されるイベントにしたいと考えています。 2月17~29日には、遠賀町のハナオコーヒーで、作品を展示販売する予定。そうした各地での個展も大切にし、インスタグラムでも情報を発信します。さらに、作品や農作物を展示販売できる常設の拠点を設けたい、とも考えています。 「たくさんの人とつながりを、しっかりと結んでいける場所にしたいです」 寺嶋さんたちの自然体の歩みが、さらに新たな道を開いていきそうです。
読売新聞