「拉致被害者」と「特定失踪者」 拉致問題の歴史と現状は 早稲田塾講師・坂東太郎のよくわかる時事用語
日本政府代表団が訪朝し、北朝鮮の責任者と拉致問題について協議しました。日本側は拉致解決を最優先とする立場を伝え、北朝鮮側は特別調査をすると確約したといいます。ところで拉致問題には日本政府が認定した12人の拉致被害者と民間団体が調査した特別失踪者がいます。どう違うのでしょうか。 【図表】政府が認定した17人の拉致被害者
政府認定の拉致被害者とは
政府が06年11月20日に拉致被害者と認定した松本京子さん(当時29歳)を含む12件17人のうち02年に帰国した5人を除く12人です。政府の認定そのものも02年に行われました。拉致は1970年代後半から80年代前半にかけて大半が起きました。拉致が行われた理由は02年の小泉純一郎首相と北朝鮮最高指導者の金正日総書記(当時)との日朝首脳会談で金総書記が「一部の英雄主義者、冒険主義者」がしたとしか述べていないので全容は不明。大韓民国(韓国)への工作員に対する日本語教育や日本人のパスポートを得るなどの目的が推測されています。 北朝鮮と韓国は1950年に始まった朝鮮戦争で100万人以上の死者を出した末、53年に韓国を支援したいわゆる「国連軍」(実態はアメリカ主導の多国籍軍)と北朝鮮および事実上、北を支援した中国との間で53年7月休戦協定が調印されました。韓国は署名していませんし平和協定も結ばれていないので法的に南北朝鮮は戦争状態のまま。北朝鮮は停戦の日を「戦勝節」などと呼んで誇っていますが、実際には武力による南北統一が果たせず、アメリカも含めて戦争状態が解決していない状態に相当な焦りを覚えて現在に至っています。 その後、北は韓国に破壊工作やスパイを送り込んだりしたもようです。当然韓国は警戒して取り締まりを強化しました。その韓国と日本は1965年に国交を回復しました。日本は高度成長により米国に次ぐ国民総生産2位の経済大国となり、ビザを必要としないパスポートでの出入国が許される有数の国家となります。 北朝鮮から直接工作員などを送り込めなくなったため、この有効な日本のパスポートを取得したり、国交のある韓国への入国を「日本人」になりすまして出来るようにするための語学・日本人化教員として日本人のニーズが高まり、連れ去りを始めたという説が有力です。