「ゴジラ-1.0」プロデューサーが奇跡の実話「ディア・ファミリー」を手がけるまで
コロナ禍、実話、医学的監修の壁
コロナ禍が作品の企画、開発をも襲った。20年4月、緊急事態宣言が発令される。映画界もその波にのまれて展望が閉ざされ、宣言は幾度となく繰り返され多くの作品が消えた。東宝は「ディア・ファミリー」を残し続けた。医療従事者やエッセンシャルワーカーへの感謝を改めて痛感した時だった。「筒井さんの物語は(私たちに)必要な物語。その意義はとてつもなく大きい」と岸田は感じていた。一見暗く地味な内容に見えるが「ストーリー性が強く、娘のために懸命になる父親や家族の実話にみなぎる力があった」と感じていた。 一方で、実話であるからこその課題もあった。「佳美さんはなぜ、大丈夫と言えたのか」。当初、佳美さんにリアリティーを与えることは難しかったが「清武さんが綿密な取材で聞いてくれたこと、20年来のつきあいによって導き出したことで、キャラクターをうそなく紡ぐことができた」と感謝の意を込めた。清武さんには脚本の確認もしてもらった。 コロナ禍ならではの問題も立ちふさがった。「医療界への取材がとにかくできなった」。筒井さんが住む名古屋に行くことも難しかった。「家族の物語としての幹は太くなったが、医学的な監修という幹を加えていくのに時間がかかった」。医療従事者に無理を言える状況ではなかった。「心は何度も折れかけたが、スタート時からの信念がそれを支えた」。コロナ禍の映画製作は日がたつにつれ周囲で始まっていたが、この企画はなかなか進められなかった。それでも「会社も周囲も理解してくれた」。 撮影はようやく、22年12月から翌23年2月初旬まで順調に行われた。
「広めたい」意義を感じる作品に出合った
映画製作を通じ何に血湧き肉躍ったか聞いてみた。「プロジェクトを立ち上げ、初めて作る意義のようなものを感じている。それは初めての経験だ。今までも伝えたいテーマとかはたくさんあって、エンタメとして作ってきた。ただ、これほどまでに広めたいと思った作品は初めて。僕たちは筒井さん一家の物語、人生をお借りして、それを届けようと考えて映画を作った。もし誰かに届いたのなら、その人も誰かに届けてほしい。人のつながりを信じたいと思える作品になった」。 肩ひじ張らない、けれども気持ちのこもった言葉が岸田の口を突いて出てくる。「シンプルなエンタメも素晴らしいが、今回は『ただ、面白い』で終わるものではない。人のつながりを信じることを実感したい」と言い切った。 プロデューサーになって8年。アシスタントプロデューサーを含めれば、11本の映画を製作してきた。「今まで映画を見て楽しんでもらえることだけを考えて作ってきたが、今回は少し違う。この作品に携わったことは僕にとって大切なことであり、視野も広げることができたと心から感謝している」