映画『ゴジラ-1.0』に登場する局地戦闘機「震電」の劇中登場仕様。キットは発売から40年超だからこそ必要となる丁寧な下地処理
■サーフェイサーで下地を整える
ビン入りサーフェイサーを使って隙間や段差の処理を済ませたのち、缶入りサーフェイサーを機体全体に吹き付けて、修正部分に問題がないかをチェックします。 この際に、パーツの合わせ目を消すためのサンディングで消えたしまったパネルラインの凸モールドをチェックし、後ほど再生させます(凸モールド再生は次回解説)。 ここまでくると、震電の特徴的なエンテ翼を採用したスタイルがよく分かりますね。いやカッコ良いです! ということで今回はここまで。第3回となる次回は消えてしまった凸モールドの再生と、いよいよ機体塗装をおこないます。劇中機もそうなのですが、ところどころ塗装が剥げたウエザリング表現もポイントです。お楽しみに!
■アメリカでも開発されていたエンテ翼戦闘機「カーチスXP-55アセンダー」
今回『ゴジラ-1.0』に登場したことで注目を集めている震電ですが、実はエンテ翼(先尾翼型)戦闘機は、大戦中にアメリカでも研究されていたんですね。それがカーチスXP-55 アセンダーです。 1939年11月にアメリカ陸軍航空隊は、レシプロ機の限界を打ち破るべく単発の迎撃機の開発をメーカーに指示。「低い抗力、良好な視界、強力な武装の3つの条件を満たせば、どのような案でもOK」という、割とアバウトな軍の提案に対して、カーチスが開発したのがエンテ翼を持つXP-55アセンダーでした。 同機は先尾翼機で、主翼が後退翼を持ち、エンジンを胴体後部に配置してプロペラを駆動。降着装置は前輪式という設計で、一見すると震電とよく似ています。 しかし軍はこのアセンダーに対して、あまり採用に乗り気でなく(発注しておいてそれかよ)、地上試験用モデルと風洞テスト用モデルの製作のみを行い、試作機の発注はその結果次第という扱いでした。 仕方なくカーチス・ライト社は、まず実物大の飛行テスト機を自費製作し、1941年12月からテスト。その結果を軍に提出し、1942年7月にようやくXP-55として試作機3機の発注を陸軍から受けることができました。 しかしアセンダーは、操縦性の悪さに加えて失速しやすいという問題点が最後まで改善できず、1号機はテスト中に墜落。最高速度も当時の制式戦闘機を下回る628 km/hしか出なかったため、結局性能不良ということで開発計画は中止となってしまいます。残っていた3号機も1945年5月27日にオハイオ州のライト飛行場で行われていた航空ショーで飛行中に墜落、パイロットは死亡してしまいました。 震電も1回しか飛行していないので、実用化にあたっては多くの改良が必要だったとは思いますが、XP-55アセンダー に比べると優れた機体であったことは間違いないようです。
<製作・写真・文/長谷川迷人>