「70年前、ジャニー喜多川氏から性被害を100回以上受けた」 作曲家・服部良一氏の次男らが打ち明けた加害の実態「事務所設立の目的も〝それ〟では」
「2年半くらいで、全部で100回くらいはあったと思う」 特に覚えているのが、長野・軽井沢での出来事だ。同級生の松崎くんら友人6人ほどでスケートに行き、別荘に泊まった。引率者だった彼は夜、みんなが寝静まると、いつものようにあの行為を始めたのだ。そしてその手は松崎くんにまで…。 ▽寝ていると、体の上に重たいものが… その時、自分に向けられた行為は未遂に終わったと、松崎基泰さん(79)は振り返る。寝ていると、体の上に重たいものが乗っかってきた。喜多川氏だった。あまりの恐怖に泣き出すと、隣接する小屋に泊まっていた年長の女性が来て、彼を注意してくれたのだという。 松崎さんによると、喜多川氏が行為に及ぼうとしたのは、この時だけではなかった。それ以前に服部家へ遊びに行った日、食事を取り、シャープ兄弟と力道山のプロレスをテレビで見ていると、服部家の家族ではない男の人の視線を感じた。それが喜多川氏との最初の出会いだった。
程なくして、演劇や映画に誘われ、一緒に行くようになったという。ところが暗い劇場内で喜多川氏は、松崎さんのセーターの中に手を入れ、体を触ってきた。「恐怖で母親のみならず身内の誰にも言えず、されるがままで震えを覚えた」 服部家から松崎さんの家まで、喜多川氏が車で送り届けることもあった。途中でお菓子をお土産に買ってくれるが、家が近づくと彼は暗い場所に車を止め、何度も性加害を行った。 「2年まではいかないくらい続いた。1週間から10日に1回はあった」 喜多川氏はその後、自分たちと同じくらいの年の男児を集め、少年野球団を結成。松崎さんも入ったが約1年後に退団した。最後にボウリング場で偶然会った時、喜多川氏は新しい男の子に肩から首に手を回して歩いていて、自分に対しては(性的な)興味を失ったようだった。これで、もうあのような悪夢はなくなると感じた。 ▽服部良一の葬儀で親族席に座った喜多川氏