「正義なしではまともに生きていける人はいない」と言えるわけ…「正義」はなぜ不可欠なのか?
社会のルールはどのように決めるべきか? すべての人が納得できる正義はあるのか? 講談社現代新書の新刊『今を生きる思想 ジョン・ロールズ 誰もが「生きづらくない社会」へ』は、現代政治哲学の起点となった主著『正義論』を平易に読み解き、ロールズ思想の核心をつかむ入門書です。 【写真】「力こそ正義」は根本的に間違っているといえるわけ 本記事では〈同じ社会で暮らしているのに「貧富の差」が生まれてしまう…ジョン・ロールズが探求した「不正のない社会」はどのようなものか? 〉にひきつづき、ロールズの正義の定義についてくわしくみていきます。 ※本記事は玉手慎太郎『今を生きる思想 ジョン・ロールズ 誰もが「生きづらくない社会」へ』から抜粋・編集したものです。
何についての正義か――社会のいちばんの土台
ロールズにとって、社会のもろもろの制度が正義にかなっているとは、人々のあいだでの利益と負担の割り当てが正しくなされていることを指す、という点を確認しました。しかし先の議論にはなおも、すんなり飲み込めないところが残っています。ここで正義にかなうとか反するとか言われるところの「社会のもろもろの制度」というのは、いったい何を指しているのでしょうか。 ロールズが正義にかなっているかどうかを問うのは何かと言えば、それは「社会の基礎構造」です。社会正義とは社会の基礎構造をめぐる正義なのです。ロールズ自身の言葉を見てみましょう。 ---------- ここでの論題は社会正義に絞られている。本書において、正義の第一義的な主題をなすものとは、〈社会の基礎構造〉――もっと正確に言えば、主要な社会制度が基本的な権利と義務を分配し、社会的協働が生み出した相対的利益の分割を決定する方式――なのである。政治の基本組織・政体および経済と社会の重要な制度編成がこうした〈主要な諸制度〉にあたるものと私は考えている。(第2節、10-11頁) ---------- この文章からわかるように、ロールズが定式化しようと試みる正義の原理は、一つひとつの具体的な制度や政策の正しさを規定するものではありません。ロールズの正義が対象とするのは、個別の制度や政策よりももっと根本的な、社会の基本的なあり方です。 社会には個別の場面でさまざまな法律や制度が必要ですが、それらはすべからく正義にかなったものでなければならないのであり、それゆえ社会の基本的な部分、いわば社会のいちばんの土台となる部分が正義にかなったものであることが必要なのだ、とロールズは考えているわけです。 しかし、社会の基礎構造という言い方は、いまいちピンとこないかもしれません。実のところロールズ自身も、「基礎構造という概念がいささか漠然としているということは認めざるをえない。どのような制度やそれらの特徴を基礎構造に含めるべきかは、必ずしも明瞭ではない」(第2節、13頁)と述べています。 これは一見すると議論が不十分であるように見えるかもしれませんが、そうではなく、具体的にこれとこれは基礎構造に含まれるがあれとあれは含まれない、というような明瞭な線引きをせずとも、社会の基礎的な部分という形で大まかに捉えるだけで社会正義を論じるには十分だとロールズは考えているのです。というわけで、社会の基礎構造については、社会のさまざまな法律や制度の土台の部分のことだと、ゆるく理解しておくのがよいでしょう。 とはいえ、それではあまりに手がかりがないという場合には、基礎構造の主要な要素の一つである、憲法をイメージすると理解がしやすいと思います。 周知の通り、個々の法律の上におかれる憲法という上位の法規範によって、立法プロセスに制約をかけるという考え方のことを立憲主義と呼びます。立憲主義の社会においては、憲法に法制度の基本方針が定められており、それに反する法律を立てることはできない、という形になっているわけです。このように、他の個別の法律を方向付ける土台として憲法があるわけですが、これは社会の基礎構造の働きをうまく表しています。 言い換えれば、ロールズはもろもろの法制度の大枠を定める憲法のようなレベルで正義を実現することで、個々の政策や制度において正義にそむくような結果が生じないようになることを目指しているのだ、と捉えてよいでしょう。 実際のところ、ロールズは正義論を立憲デモクラシーの基礎と位置付けています。「〈公正としての正義〉の中心理念および達成目標とは、立憲デモクラシーの哲学的な擁護論のひとつを構想しようとするところにある、と考えている」(改訂版への序文、ⅻ頁、なお「公正としての正義」とはロールズの正義論のアプローチのことであり、『今を生きる思想 ジョン・ロールズ』第2章で詳しく解説します)。ただし、重ねて強調しておきますが、社会の基礎構造イコール憲法というわけではありません。憲法はあくまで社会の基礎構造の主要な要素の一つです。 基礎構造に関連する点をここで一つ補足しておくと、ロールズの『正義論』が議論の対象としている社会の範囲は、原則として国家と一致します。つまり、検討の対象となる社会の基礎構造とは、一国の基礎構造のことです。 また、ロールズが想定している国家は、その国民が個人の権利や自由といった価値を理解している国家です。この点はヨーロッパ視点のバイアスだと言えなくもないかもしれませんが、とはいえ、個人の権利や自由に価値を見出すことは、現代においてはヨーロッパに限らず標準的な見方として広く受け入れられていますので、それほど無茶な前提ではないでしょう。 以上のことは、逆から言えば、『正義論』では国際社会については検討されないということです。「他の社会から孤立している閉鎖系として差し当たり見なされた〈社会の基礎構造〉の正義を判定する、理にかなった構想を定式化できれば、著者の私は満足するとしよう」(第2節、12頁)とロールズは述べています。 とはいえもちろん、国際社会という形の「社会」にも、協働の便益と負担の割り当てという問題は存在します。貿易や人の移動などを通じて各国は互いに影響を及ぼし合っていますし、それが不公平なものだという状況はしばしば見られます。 国際社会の正義という問題の重要性については、ロールズもやはり十分に理解しており、『正義論』では論じなかったものの、のちに3冊目の著書『万民の法』において自説を展開します。そこでのロールズの議論もとても興味深いのですが、本書ではあくまで『正義論』に焦点を絞ることにして、その話はまたの機会としましょう。