【お寺の掲示板130】「タイパ」から幸せは生まれない
Z世代と呼ばれるデジタルネイティブな若者は、「切り出し」が得意です。一本の映画を10分程度に切り取ってまとめた「ファスト映画」が話題になりました。時間が有限なものとはいえ、いくら時間効率を追い求めても幸せにはなれません。(解説/僧侶 江田智昭) ● 意味のないことのやり取り 今回は1986年生まれの言語学者である伊藤雄馬氏の言葉です。伊藤氏はタイやラオスの山岳地帯に住む少数民族であるムラブリを調査し、著書『ムラブリ/文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと』(集英社インターナショナル)の中で以下のような言葉を残しています。 人間は意味のないことをやりとりするときにこそ、仲がよくなる。仲がよくなったから、意味のないことをやりとりするのではない。意味のないことをやりとりすることで、そんなことを言い合えるくらい仲がいいんだ、と錯覚するのだ。 現在、意味のないことを嫌い、「タイパ」(時間対効果)や「コスパ」(費用対効果)を重視する人を数多く見かけます。それは、効率から見ればもちろん良いのでしょうが、伊藤氏が述べているように一見意味のないやりとりによって強い信頼関係が生まれることもあります。 ミヒャエル・エンデの小説『モモ』には、時間を奪う「灰色の男」が登場します。「灰色の男」はフージーという男に向かって、あなたはおしゃべりなどに人生を浪費しすぎていると指摘します。そして、「お客には30分もかけないで、15分ですます。むだなおしゃべりはやめる」などと命令し、さまざまな点で時間の倹約を求めたのです。 その結果、どうなったのか? フージー氏はだんだん怒りっぽい、落ち着きのない人になりました。彼のような時間倹約家は総じて、「お金も余計に稼いだし、余計に使ったけれど、不機嫌でくたびれた、怒りっぽい顔をして、とげとげしい目つきでした」ともありました。 結局、時間的・費用的効率を極度に追求することにより、自身の人生の豊かさが失われていったのです。これはあくまでもミヒャエル・エンデによる創作の物語ですが、現代社会や現代人の問題点を鋭く突いているともいえます。