ダイアン・レイン、知的でスマートな天才少女の失意と復活 19歳から筋金入りの女優「演技力認められ…尊敬の目で見られたい」
【1万本を見た映画記者 極私的スター名鑑】 1980年代の洋画は若くてチャーミングなアイドル女優が次々に誕生した。なかでも知的でスマートなダイアン・レインは、ブルック・シールズやソフィー・マルソーをしのぐ人気だった。 ダイアンは幼い時に両親が離婚し、タクシー運転手で演技コーチでもある父親に育てられた。6歳で舞台に立ち、8歳でヨーロッパ各地の巡業公演を体験している。 79年に映画デビュー作「リトル・ロマンス」(ジョージ・ロイ・ヒル監督)が世界的に大ヒット。アメリカの少女とフランスの少年が恋をし、ベネチアに向かって旅をする爽やかな青春映画だった。当時まだ14歳のダイアンは天才少女として注目され、タイム誌の表紙にもなる。 フランシス・F・コッポラ監督に気に入られた彼女は青春映画「アウトサイダー」(83年)「ランブルフィッシュ」(83年)「コットンクラブ」(84年)と連続出演。ロック歌手を熱演した「ストリート・オブ・ファイヤー」(84年、ウォルター・ヒル監督)は興行的には失敗したが、日本では傑作として評価され大ヒットした。映画の宣伝で来日したダイアンは帝国ホテルでこう語った。 「アイドルと呼ばれることに抵抗はない。若くて純粋なファンに囲まれるのはうれしいわ。でも本当は単に憧れられるよりも、演技力のダイアンとして認められ、尊敬の目で見られたい」 19歳の少女はすでに筋金入りの女優だった。その後はあまり作品に恵まれなかったが、「運命の女」(2002年、エイドリアン・ライン監督)で情事に溺れる専業主婦を好演し、映画各賞の主演女優賞を獲得。米アカデミー賞の候補にもなった。年齢を重ねたダイアンには少女時代とは違う大人の美しさがあり、まだまだ活躍してほしい。 ■ダイアン・レイン 1965年1月22日生まれ、59歳。米ニューヨーク出身。 ■垣井道弘(かきい・みちひろ) 1946年、広島県三原市生まれ。明治大学文学部卒。週刊誌「女性自身」の記者を経て、映画評論家になる。著書に「MISHIMA」(飛鳥新社)、「今村昌平の製作現場」(講談社)、「ハリウッドの日本人」(文芸春秋)、「緒形拳を追いかけて」(ぴあ)などがある。