年金15万円・70代姑「有料老人ホーム」入居のはずが、親族の口出しで自宅介護継続に。5年の介護生活で燃え尽きた長男嫁「どうしてこんなことに」
親の介護問題に頭を抱える子世代は多い。同居の家族、もしくは近隣に暮らす家族が介護にあたるのが一般的だが、仕事との両立は簡単ではない。そのため、老人ホーム入居を検討することになるが、ときに外野から邪魔が入ることもあるようだ。実情を見ていく。 【早見表】年金に頼らず「1人で120歳まで生きる」ための貯蓄額
「老人ホーム」のイメージ、大きく変化しているが…
少子高齢化が進展する日本では、高齢者が「終の棲家」として自ら老人ホームを選択するケースも増えてきた。 厚生労働省の資料によれば、2019年、老人ホームで最も多いのが「有料老人ホーム」の1万4,118件だが、「特別養護老人ホーム」いわゆる「特養」は1万502件だ。だが、入居者(定員)が最も多いのは「特養」で61万9,600人、「有料老人ホーム」は53万9,995人となっている。 そもそも老人ホームは、困窮する高齢者を対象とした養老院がルーツとされ、それが国の制度上に位置付けられたのは昭和の初期のことだ。戦後は、旧生活保護法によって保護施設として位置づけられ、1963年には、老人福祉法によって老人ホームと呼ばれるようになった。 当初は困窮者の救済や、生活保護の位置づけだったこと、そして過去の日本では「親の老後は子どもがみるもの」という考えが半ば常識だったことから、親を老人ホームへ入所させることは、周囲から後ろ指を指されるような行為だった。そのような背景から、昭和時代は「老人ホーム=姥捨て山」というイメージが根強かったのである。 しかし、時代は変わった。核家族や単身世帯が増え、かつてのように専業主婦が中心となって自宅に高齢者を引き取り介護に手を尽くすスタイルは、あまりに現実とかけ離れたものとなった。子ども世代は共働きが一般的となり、親の介護にさける時間も労力もない。また、子どもの教育費も高額となり、親世帯へ援助するのも、多くの子世帯にとって厳しい状況だ。
「老人ホーム=姥捨て山」というイメージが更新されない人たち
だが一方で、古い昭和時代の価値観を引きずる人々も、まだまだ存在するようだ。 ある50代の女性は肩を落とす。 「夫は2人きょうだいの長男です。義弟夫婦は遠方なので、近くに暮らす私たちで、夫の両親の面倒を見ていたのですが…」 女性は中小企業の事務員で、夫は自営業を営んでいる。高校生の息子が1人いる。 「まず義父が亡くなり、その後、ひとり暮らしをしていた義母が弱って、生活に手助けが必要になりました」 女性の家庭は共働きで子どももいるうえ、時間的にも金銭的にも余裕がない。かつてのように、週に1、2回の買い物や事務手続きぐらいなら対応できたが、自宅介護となれば話は別だ。 「姑は、年金を15万円ももらっています。悲しいですが、私の給料より高いです。そのため、夫と義弟と私とで話し合って、義母にホームへの入居を勧めたところ、義母も〈安心だし、いいかも!〉といって乗り気になったのですが…」 ところが、それを聞きつけた義母の弟が激怒。いきなり家に乗り込んできた。 「散々罵られました。〈親をなんだと思っているのだ、この恩知らず、親不孝者め〉と…」 たちの悪いことに、義母の弟は、姑に直接、老人ホーム入居をやめるよう説得をはじめた。 「〈家族なのにそんな冷たい仕打ちがあるか〉〈子どもは育ててもらった恩があるのだ〉と、涙ながらに義母の前で大演説をしまして。そうしたら義母と夫が〈確かに…〉と考えを翻してしまったんです」 盛大なちゃぶ台返しの結果、義母の行き先は老人ホームではなく、長男夫婦の自宅へ変更された。そして女性は介護離職するハメに…。 「丸5年、義母を介護しました。最後は壮絶でしたよ。夫は途中、ヘルニアを発症して戦線離脱してしまい、最後ほとんど私1人でみていました」 いよいよ限界、もう面倒をみられない…と思ったところ、義母は死去。 遺されたのは、空き家となった築古の実家と、数百万円の預貯金、そして、義母の匂いが染みついてしまった、自宅の南向きの客間だった。遺産相続は、夫と弟とで亡き母親の遺産を6:4の割合で分割し、終了となった。 「ただ、腹が立つのは義母の弟ですよ!」 女性のところに怒鳴り込んできたという義母の弟は、自分が高齢となって介護を受ける立場になったものの、長男の嫁と折り合いが合わず、さっさと老人ホームに入所したという。 介護によって5年以上の時間と仕事を失った女性は、心身ともに燃え尽きたような状態になってしまったという。