「平沢勝栄氏がランチ風景を投稿して炎上」「一方、トランプはマックでバイト」…政治家の「庶民アピール」に見る日米の“センス”の差とは?
国民がこのような厳しい状況にある中で、人々の境遇によってどう受け止められるか不確かで、かつ意図が露骨な食事は分が悪いとしか言いようがない。 加えて、そもそも政治家の食事などがいちいち炎上すること自体が、日本の「貧すれば鈍する」的な状況を表しているともいえる。いずれにしても、自爆型PRになりやすい代物なのだ。 ■トランプ氏のほうがまだマシ? 一方で、いわゆるポピュリズムの文脈から見れば、幅広い支持を獲得するための戦略として有効にも思える。
けれども、とりわけ庶民対エリート/既得権益の姿勢を打ち出すポピュリストは、有言実行の一貫性が重要であり、イメージ戦略はその後追いでしかないところがある。 これらの前提を踏まえると、食事の象徴的な意味をあまりにも軽視し過ぎている日本の政治家たちのセンスが浮かび上がる。 まず食事は階級意識につながっている。社会学者のピエール・ブルデュー氏は、「食べ物の趣味は、それぞれの階級に特有な、身体についての観念、そして食べ物が身体に与える影響、すなわち身体の強さ、健康、美しさへの影響についての観念にも依存する」と述べ、それが「本質的に差違化の手段になる。それによって、人は自らを分類し、他者によって分類されるのだ」と主張した(『ディスタンクシオン 社会的判断力批判』石井洋二郎訳、藤原書店)。
もう一つは、ナショナリズムである。文化史家のパニコス・パナイー氏は、『フィッシュ・アンド・チップスの歴史 英国の食と移民』(栢木清吾訳、創元社)で、白身魚のフライと棒状のポテトフライを組み合わせたフィッシュ・アンド・チップスが、どのようにしてイギリス人の「国民食」になったかを明らかにしたが、このようなナショナル・アイコンの重要性にあまりにも無頓着なのかもしれない。 この点、まだ、トランプ氏のほうがましと言える。マクドナルドはアメリカの食文化の象徴のようなものだからだ。