会場は日本なのに…中国国内“ライブ禁止”のロック歌手の歌を聞くためだけに多数の中国人来日し涙 日本人が知らない“中国”の一面
歌手は「南京市民の李さん」
歌手は1978年に中国・江蘇省の農家に生まれた李志(リージー)。 現在、南京をベースに活動しており、「南京市民の李さん」と呼ばれている。 しかし、彼はここ数年間、中国では公演ができない状況に追い込まれている。 彼の曲は、経済発展によって激動する中国の40年間の「小人物(普通の人々)」の、「どうしようもない人生のあれこれで構成される生活の断片」を描いている。 たとえば、南京の通りの名前と同じ「熱河」というタイトルの曲の歌詞は、このようなフレーズだ。 熱河通りには長年営業している理髪店がある どんな髪型のカットでもたった5元 店の主人とその妹は椅子に座り、何も言わずに鏡を見つめている 彼らのふるさとは安徽省全椒県の岸辺にある この街に移ってから896日が経った 熱河通りはいつも同じ顔をしている 李志の歌は、埃っぽい中国の普通の人々の無力さを歌ったものであり、政府の公式メディアが毎日宣伝する「ポジティブなエネルギー」とは相容れないものだ。 しかし、李志の歌が禁止されたのはそれが原因ではない。直接の理由は、2018年に彼が著作権侵害で中国の大手商業プラットフォームを訴え、「権利擁護」の道を歩み始めたからだと思われる。 この「権利擁護」が中国政府に嫌われたのだろう。だから、禁止されたのだろう。 彼が発表した有名な楽曲のうち、中国で聞けなくなっているのは、1989年の天安門事件を想起させる「広場」や「人民に自由は必要ない」だ。 中国で大きな自由を望むことはできないが、かといって「人民に自由は必要ない」と言うこともできないらしい。だから、中国でこの曲を聴くことはできない。
コンサートを開催してくれた日本に感謝
李志は中国に多くのファンがいる。 中国には、2つの世界があるようだ。1つは当局の宣伝の中の中国であり、戦狼外交官やロシアのプーチン大統領とハグしている指導者がいる。しかし、その外側にまた別の世界がある。そこでは、誰もが互いを知らず、共に関わり合うこともできない。市民団体が政府に危険視されているからだ。だから、コンサートに誰が来ていたのかわからない。 コンサート会場内での携帯電話の使用は禁止されていた。コンサートについて調べても、中国のソーシャルメディアにはほとんど痕跡が残っていない。感情のこもった感想文を書いても、それは友人同士で共有することしかできない。 李志の背中の写真をソーシャルメディアに投稿した者もいたが、それはすぐに削除された。だから、コンサートから1カ月経った今、コンサートに行き、共に歌い、泣き、笑ったという記録は非常に少ない。実際に起こっていることすら記録できない。コロナ後の中国ではよくあることだ。 だが、誰も文句を言わなかった。コンサートが開催されただけでもありがたいことだ。中国の人々はこのコンサートを開催してくれた日本に感謝している。 この公演を主催した日本のPANDA RECORDは、李志という歌手とそのバンドを、より多くの日本の人に知ってもらおうと企画したという。実際には、日本人よりも、中国人の熱意が彼らの期待を大きく上回ったにちがいない。 多くの観客が中国から飛行機で来るとは予想していなかっただろう。 PANDA RECORDの喜多直人社長は、「チケット販売システムで購⼊者の国籍や居住地が集計できないので分からないが、中国からわざわざきた観客もいた。チケットは完売し、およそ1万人が来てくれて、コンサートは大成功だった。彼らは素晴らしい演奏、音、照明を披露してくれた。今後も中国の素晴らしい音楽を日本で紹介していきたい」と話している。 人々で埋め尽くされる会場を眺めながら、ここに来るために必要な航空券、ホテル、消費額について考えた。中国の厳しい統制によって、日本にもたらされている、この「自由経済」(Freedom Economy)の規模の大きさに、日本の経済アナリストは気づいているのだろうか。コンサート会場には日本人はほとんどおらず、誰も分析できていないと私は思っている。 今回、李志は「熱河」のような「安全な」曲を歌い、 観客は携帯電話を専用の袋に入れて封をし、コンサートの間、使うことができなかった。つまり、彼は「一線を越えた」わけではないが、数年ぶりに彼のステージを見て、彼の声を聞くことができただけで、多くの人が涙を流した。