『瞳をとじて』ビクトル・エリセ監督 映画は観客の意識に対して開かれたもの 【Director’s Interview Vol.384】
未来の予測は難しくなった
Q:31年前の長編第3作『マルメロの陽光』が公開された1992年の時点の公式コメントで、エリセ監督は19世紀末にリュミエール兄弟が開発したシネマトグラフ(映写機)を100年ほど前に実った生命の樹木の果実にたとえつつ、だがそれはいまや消滅の危機に瀕している、と語っていました。今回の『瞳をとじて』は「映画の死」という主題が全面化(あるいは前面化)しているように思います。編集者のマックスは自宅に大量のフィルムを保管して、「映画の死」に対して孤独に抗っている、あるいは映画と一緒に自ら滅んでいくような覚悟を感じさせる人物に映りました。また本来、複製芸術である映画を、絵画のように保管しているのは興味深い光景でした。エリセ監督は、これから先、映画もしくは映像メディアはどのような形で続いていく、あるいは変化していくと思われますでしょうか? エリセ:私は預言者でも哲学者でもありません。単なる映画監督ですので、常に謙虚でありたいと考えています。しかし時折、自分自身がほとんど答えを持っていないような、重大で超越的な問いを投げかけられることがあります。いま私たちが生きている時代は、世界で人類学的な変化が起こっている時代だ――それが私の考えです。映画の未来についてだけではなく、人類の未来についても推測することは、とても難しい状況になっていると思います。 ちなみに『瞳をとじて』はフィルムとデジタルで撮影しました。いつもと違ったのは製作予算が比較的大きかったので、撮影現場では私の周りに、より大勢のプロのチームがいたことですね。 Q:ちなみに失踪する俳優フリオ(ホセ・コロナド)には具体的なモデルがいるのでしょうか。あるいは彼の人物像や、彼をめぐるエピソードは、どのようなものが着想になったのか、教えてください。 エリセ:モデル? モデルというなら、彼自身がそうです。映画の中のフリオは、日常生活の中のホセ・コロナドそのものです。架空の人物を演じる俳優という仕事で糧を得ている人物。すなわち誰にでもなれ、同時に誰にもなれない人物です。 Q:俳優フリオと離れて暮らす娘、いまはプラド美術館の職員として働く女性アナ・アレナス役で、アナ・トレントさんが出演していることが大きな話題となっています。もちろん2011年、東日本大震災を受けたオムニバス映画『3.11 A Sense of Home Films』の中で短篇『アナ、3分』を撮ってらっしゃいますが、『ミツバチのささやき』の少女アナ役としてスクリーンに登場した時、撮影時6歳だった彼女が、再びエリセ監督の世界に本格的に帰ってきてくれたことに、我々ファンは涙を禁じ得ません。 エリセ:いまや彼女はプロの俳優ですからね。成長したアナは演劇を学ぶためにニューヨークに行きました。私たちは50年間、友情を育み続けたのです。2021年末のある夜、アナが出演していたマドリードの劇場の出口で、私は彼女に話しかけました。「いま映画の脚本を書いている。登場人物のひとりをぜひ演じて欲しい」と。彼女は即座に承諾してくれました。それくらい簡単な出演交渉でした。
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