【プレイバック’04】スイカップアナ 民放デビュー会見の〝スーパーボディ〟とオフの〝ナマ私服姿〟
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は20年前の’04年6月4日号掲載の「古瀬絵里『スーパーボディ』をド迫力パーツ撮」をお届けする。 【ド迫力‼】すごい…極限まで寄ってみました。古瀬キャスターの胸部ドアップ写! 本誌が’03年7月18日号で報じたモンテディオ山形監督・柱谷幸一氏との不倫スクープをきっかけに全国区の人気者となった「スイカップ」こと当時NHK山形のキャスター・古瀬絵里。3月でNHKとの契約が切れるとのことで、その去就が注目されていた。所属事務所も決まった彼女の民放デビュー会見とその後の〝ナマ私服姿〟をカラーページで紹介した記事だ。(以下《 》内の記述は過去記事より引用) ◆「スイカップと呼ばれたくないから『ウルルン』に出た」 ’04年5月14日、都内で元NHK山形の古瀬絵里キャスター(当時26)の民放デビュー会見が行われた。これまで何度も彼女の〝ナマ姿〟を拝んできた本誌も、こんなに近距離でマジマジと見ることができたのは初めての経験だった。 《久米宏も所属する「オフィス・トゥー・ワン」と契約し、最初のお仕事となったのが『世界ウルルン滞在記』(TBS系)のレポーター。緊張の面持ちで取材陣の前に現れた彼女、純白スーツで胸元やクビレは隠れてしまっていたが、「95cmGカップ」(推定)の〝盛り上がり〟だけはやっぱり隠しきれない。 ちなみに、真っ先に挙がった質問が本当のバストサイズは? だったが、「それは見て自由に思ってください。100㎝? そんなにないです」 という答え。会見の途中からは、番組の内容よりもスイカップに質問が集まったため、「スイカップと呼ばれたくないので 『ウルルン』に出た」とちょっぴりご機嫌ナナメになってしまった……》 だが、やはり全国デビューは嬉しかったようだ。会見後は窮屈なスーツからノースリーブ&ジーンズに着替え、事務所関係者と夜の赤坂に繰り出した。和食店での食事を終えたあとはお酒も入っていたせいか、かなり上機嫌。キュートな笑顔も見せてくれたのだった。 ’03年の不倫報道以前から、一部の女子アナ好きから「スイカップ」の愛称で支持されていた古瀬。この日の全国デビューもファンが待ち望んでいたものだったが、その愛称を彼女はお気に召していなかったようだ。 「この胸はお父さん、お母さんにもらった宝物ですから大事にしたい」と言いつつも、「もう26歳ですから…期待するのは自由ですけど」と、グラビアの仕事には興味がない様子。報道キャスターの仕事への意欲を語っていたのだった。 しかし、彼女は’06年には『週刊現代』でグラビアを披露し、ファンを湧かせる。当初よりもくだけてきたのか「スイカップ」ネタをバラエティ番組などで披露することも多くなった。 ’11年8月に8歳年上の一般男性と結婚、翌年には1児の母となった古瀬。昨年には6年ぶりにグラビアに復帰して話題となった。今年3月の『デイリー新潮』のインタビューでは’04年当時の思いについて次のように語っている。 「今でこそ受け入れていますが、最初は『スイカップ』という言葉に抵抗はありました。それが態度に出てしまったこともあります。当時は未熟だったんでしょうね。今は、いい感じで力が抜けて、うまく使えている気がします」 最近の活動の中心である講演のときに〝つかみ〟として「スイカップ」という言葉を使うことも多いそうだ。
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