八丈島に移住した“女性プロ雀士”に聞くリアルな住み心地。物価は「東京本土のスーパーよりも全部高い」
移住は誰にも相談せずに1人で決めた
――収入や結婚を見据えて、八丈島を選んだ? 松岡:そうですね。あと、プロ雀士の仕事などで地元の東京と行き来することを考えたら、長崎を1回経由する必要があることも含めて距離的に大変かなと。八丈島だと東京から飛行機で片道1時間程度で着きますし、アルバイトの時給1,200円ぐらいで募集しているところも多かったので、生活を考えると八丈島の方がいいと思いました。一昨年の7月に移住してきたので、もう2年は経っています。 ――移住する際、周囲には相談されましたか? 松岡:誰にも相談せずに1人で決めました。親に伝えたのは移住する1ヶ月前だったのですが、当時住んでいた部屋の大家には既に退去することを伝えていましたし、友達にはX(旧Twitter)を通じて移住する2~3日前に伝えました。事後報告ですよね(笑)。
都会暮らしから抜け出したい気持ちが
――自然が大好きということですが、都会暮らしが嫌になったわけではない? 松岡:嫌になっていないと言えば嘘になりますね。東京って人が多くてゴミゴミしてるじゃないですか。地元は蒲田(大田区)なのですが、島に移住する前は私が店長として働いていた雀荘が神田の駅前にあったこともあり、神田近辺に住んでいたんです。ちょうどオフィス街なので、出勤する人たちの間をすり抜けるようにして仕事に向かっていて……。満員電車も好きではなかったですし、都会暮らしから抜け出したい気持ちは多少あったんでしょうね。 ――プロ雀士をやりながら、雀荘の店長をされていた? 松岡:そうです。今でこそプロ雀士が雀荘の店長を務めることは多いのですが、私が店長をしていた10年ぐらい前は少なくて、もしかしたら私が初めてのケースだったかもしれません。従業員の給与を計算したりシフトを作ったり、集客のためのイベントを考えたりしていましたね。 ――仕事を掛け持つのは大変そうですが、ご自分の意思で店長になられたのですか? 松岡:私がプロ雀士になった頃はいなかったのですが、いつの頃からかグラビアの仕事をしたり、歌って踊ってというプロ雀士が増えてきて…。私は胸も小さくて、歌はそんなに上手くないし、そういうのが嫌だったんです。それで、「このままだったらプロ雀士として食べていけないかな」っていう思いがあって、それなら裏方の仕事もしてみようと考えて店長になりました。