現代ではありえない、婚姻形態が政治を変えた平安時代。日本の歴史からやがて消えた、男性が女性のもとに通う婚姻スタイル「招婿婚(しょうせいこん)」とは?
『愛憎の日本史』#2
学校の授業で歴史を学ぶ際、そこに登場する事象の裏で、どのような激情が渦巻いていたのかまで教わることはほぼない。しかし、歴史というものは、ひとりひとり人間が抱いた愛憎の感情が少なからず影響を及ぼしているのだ。今回は平安時代の婚姻スタイルが、政治を変えた話をお届けする。 【画像】平安時代に栄華を極めた藤原道長の息子・頼朝が建てた平等院鳳凰堂
『愛憎の日本史』 (扶桑社新書) より、一部抜粋、再構成してお届けする。
平安時代の婚姻スタイル・「招婿婚(しょうせいこん)」とは何か
恋愛が重視された平安時代。当時の婚姻制度とはどんなものだったのでしょうか。 エマニュエル・トッド氏(フランスの家族人類学者・歴史学者)の理論でいうと、持統天皇の時代以降、日本の天皇家をはじめとする家族形態は、「単婚小家族」という父・母・子というシンプルな形態から、一人の子どもが親の財産をすべて受け継ぐ「直系家族」と呼ばれる家族形態へと移行していきます。 家族形態が変わるといっても、一代、二代で変わるものではありません。その過渡期に登場した婚姻形態が、平安時代の「招婿婚」だと考えます。 「嫁入り」という言葉に代表されるように、日本では最近まで女性が男性の家に嫁に行く「嫁取婚(よめとりこん)」が根付いていました。一方の招婿婚は、男性が女性のもとに通う婚姻スタイルです。ときには、「妻問婚(つまどいこん)」とも呼ばれます。 招婿婚を提唱したのが、高群逸枝先生です。高群先生は『招婿婚の研究』という本の中で、平安時代の結婚の内情を明らかにされています。同著によれば、平安時代の結婚の成り立ちは以下の通りです。 まず、「この家には素敵な女性がいるらしい」との噂を聞きつけた男性が、その女性に歌を贈ります。仮にその歌が女性の心を動かせば、女性は男性に返歌を贈る。 男女の間で和歌のやり取りが数回行われた後、男性が求愛します。そのとき、女性から「うちに遊びにいらっしゃい」という誘いがあれば、男性が女性の家に忍んでいき、関係を持ちます。 なお、昔の身分の高い女性はだいたい扇で顔を隠しているので、直接会って事前に顔を確かめることはできませんでした。平安時代の恋人同士は契りを交わす段階で、初めてお互いの顔を確認する。ときにはお互いに「……こんな顔だとは思わなかったのに!」と悲鳴が上がることもあったかもしれません。