「伝説の女性エッセイスト」が描いた「昭和の女性が生きた世界」…その「切なさ」と「魅力」
「粗忽」な気質
今月11月の末(28日)は、作家・脚本家の向田邦子さんの誕生日です。1929年生まれ、今年で生誕95年を迎えます(1981年に逝去)。 【写真】昭和の満員電車のすさまじさ…! 社長秘書や映画雑誌の編集者を経て、やがてラジオドラマやテレビドラマの脚本を書くようになり、『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』などの名作ホームドラマにたずさわりました。 エッセイの名手としても知られます。 豊穣な記憶からつむぎだされる、映像が浮かび上がるような彼女の作品には、根底に悲しみとユーモアが流れ、読んでいると独特の切なさがこみあげてきます。 向田さんの代表的なエッセイの一つが『眠る盃』。 本書に所収された「潰れた鶴」という作品が印象的です。 〈つい先夜、銀座で人寄せをした。 お開きの時刻に雨が降り出し、気の張る年配の客が多いこともあって車を頼んだのだが、自分を頭数に入れるのを忘れていた。 用が残っておりますので、と取りつくろい、にこやかに三台の車を送り出して、今から一台頼むのも間が抜けている、粗忽を懲らしめる意味からも地下鉄で帰ろうと、家路を急ぐホステスさんにまじって雨の中を歩き出した。 得意になって人の世話をやき、気がつくと自分一人が取り残されている、というのは今に始まったことではない〉 読者を一気にエッセイの世界に引き込むこのあまりに見事な冒頭にはじまり、向田さんの世話焼き気質と、そのことによって引き起こされたちょっとした失敗のエピソードがつづきます。 そして、その世話焼き気質は、自分が歳を重ねても独身で過ごしたことと関連づけられつつ、以下のような、少し逡巡をふくんでいるように見える言葉につながっていきます。 〈女は、しっかりしている、などと言われないほうがいい。鶴がうまく折れなかったり、綿入がうまく出来なかったりしてベソをかき、人に手伝ってもらったりするほうが可愛げがあって結局は幸せなのではないか。私は甘えて人に物を頼んだり、ゆったりと髪をとかしてリボンの色を選んだり、少女小説を読んで涙ぐんだり、そうした女の子らしい思いをした記憶はほとんど無い。〉 亡くなるまで独身で過ごし、自分でお金を稼いで生きていた向田さんの、自分とはちがったタイプの女性にたいするわずかな羨望、それと裏腹にあるちょっとした自負にようなもの、そして、昭和の女性が置かれた立場の難しさが垣間見えるようです。 この文章が発表されたのは、1978年。〈女は、しっかりしている、などと言われないほうがいい〉という言葉が説得力をもっていたこの時代から、46年で日本の社会はどう変わったのか、どう変わっていないのか。歴史の証言として、本書を読んでみるのもまた、おもしろいかもしれません。 * さらに【つづき】「向田邦子が描く「昭和の貧乏」の魅力的なリアリティ…その時代に「日本が経験していたこと」」でも、向田作品の魅力について紹介しています。
古豆(ライター)