但馬国府の木簡や35年かけた大般若経など、公開難しい文化財も特別に展示 豊岡市立歴史博物館
貴重な資料ながら、長期展示が難しいなどの理由で公開される機会が少ない文化財を紹介する企画展「学芸員の推し! 収蔵品展」が、兵庫県豊岡市日高町祢布、豊岡市立歴史博物館「但馬国府・国分寺館」で27日に開幕する。 久田谷銅鐸や妙楽寺出土密教法具など、様々な年代の収蔵品が公開され、このうち祢布ケ森遺跡出土木簡は、但馬国府にまつわる文化財。 奈良時代から平安時代にかけて、当時の国ごとに中央政府の出先機関にあたる国府が置かれ、一帯は地方の政治・経済・文化の拠点として発展した。 祢布ケ森遺跡は延暦23年(804)に移転した但馬国府(第二次但馬国府)の中心地に当たり、これまでに228点の木簡が出土している。 中には朝来郡(現在の朝来市)、城崎郡(現在の豊岡市中央部)、七美郡(現在の香美町南部)など但馬各地の郡名が記されたものがあり、但馬国内の文書を集めとりまとめる国府での仕事を示している。 木簡の文字には様々な筆跡があり、国府で働いた人々の筆遣いを感じる貴重な資料だという。担当者は「長期間の展示には耐えられないため、普段は展示していませんが、本物はよりリアルな筆遣いが分かります」と話している。
一人の僧が書き写した労作
一心に筆を運んだ「労作」三野神社大般若経も展示される。 大般若経は、正式には「大般若波羅密多経」という600巻もある経典。『西遊記』で知られる玄奘三蔵が7世紀にインドから中国に持ち帰り中国語に翻訳したもので、日本各地に書き写されたものが残っている。 三野神社大般若経は、豊岡市日高町野々庄にある三野神社で長く受け継がれてきたもの。毎年、地元の人たちで虫干しをするなど大切に管理されている。 紙片は総数1607点に及び、すべての紙片が調査され、判読できる文字から、600巻ある経典のどの部分にあたるのかおおむね確定されている。 各経巻の巻末には奥書があり、書き写した人名、日付や来歴などが追記されていた。それによると、平安時代末期から鎌倉時代初期にあたる1163~97年の35年にわたり、京都の青蓮院という寺で、「立永」という僧侶が一人で書き写したものだと分かった。 写経の手本となったのは、白河天皇によって建立された法勝寺が所蔵していた大般若経であることも分かっている。 展示解説は5月11日と6月16日。両日とも午前10時からと午後2時からの2回。入館料のみ。 会期は6月25日までで、水曜休館。一般500円、高校大学生300円、小中学生250円。電話0796(42)6111。