月商たった9万円、豆腐と納豆だけの食事…3度の倒産の危機を乗り越えた「性格が正反対な夫婦」の起業物語
■このままでは高校を卒業できない… 高3の時点で、模試を受ければ物理は全国1位が当たり前。高校の中でも断トツに成績はよかったが、いかんせん、出席日数が足りないことが3年生の終わり頃になって判明した。学校をサボって独自に勉強する日が多かったからだ。 このままでは卒業できないと、学校側から宣告された。 「そこで学校と交渉したんです。僕が通っていた高校は、当時まだ歴史が浅かったから、学校としては進学実績を伸ばしたいはずだと読んだのです。そこで、学校側が僕に『受かってほしい』と考える大学すべてに合格したら、出席日数をなんとかしてくれないかと先生に頼みました」 私立だから可能なバーター取り引きだが、相手にとってのメリットを見透かした交渉の進め方は、およそ高校生とは思えない。 学校側は瀬川の提案をのんで、「受かってほしい大学8校」を指定してきた。結果はなんと、8校すべてに合格。本命の医学部だけは不合格だったが、受験勉強をやり切ったという思いがあったので悔いはなかった。 瀬川は約束通り卒業を果たし、慶應義塾大学理工学部に進学することになったのである。 ■厳しい家庭で育った妻 この間、同世代の宮本は何をしていたのかといえば、やはり自営業者でコテコテの大阪人だった父親にひたすら怯えながら、委縮した学生生活を送っていたという。 「門限は6時と決められていて、髪型もショートカットしか許されませんでした。大学に入っても、アルバイトは家庭教師や学童保育の手伝いしか認めてもらえず、帰りが遅くなるとバイト先に父親が『娘を何時まで働かせるんや!』って怒鳴り込んでくるんです(笑)」 ガストでバイトをしたいという宮本に「ファミレスなんて水商売や!」と言い放ったというからなかなかのお父さんだが、大学で学園祭の実行委員をやった経験が宮本のコミュ力をアップさせ、友人がたくさんできるきっかけになったという。 「実行委員をやったお蔭で、自分の明るい部分が増えて、成長できたのかなと思います。そのせいでしょうか、就職氷河期だったにもかかわらず、10社近くから内定をもらうことができたんです」