大阪城で重要文化財の特別公開 すべて石造りの火薬庫も
大阪城で重要文化財の特別公開 すべて石造りの火薬庫も THEPAGE大阪
大阪城の重要文化財の建物4件を内部から見学できる特別公開が大阪市中央区の大阪城公園で開催されている。全国で唯一の床から天井まですべて石造りの火薬庫や、築395年の櫓(やぐら)など、見どころ十分だ。大坂の陣400年天下一祭の一環で、公開は23日までと26・27両日。
将軍家光が金の采配を振った場所
特別公開されるのは、多門櫓、千貫櫓、乾(いぬい)櫓、焔硝蔵(えんしょうぐら)の重要文化財4件。千貫櫓と乾櫓は大阪城内最古の建築物だ。1615年の大坂の陣で豊臣大坂城落城後、徳川幕府がただちに再築工事に取り掛かり、1620年の第1期工事で建造された。今から395年前だ。徳川政権の威信をかけ、豊臣大坂城を上回るスケールをめざした徳川大坂城初期の威容を体感できる。 乾櫓は大坂城の西北方向を守る櫓で、櫓ではもっとも西側に位置し、しかもお堀側に突き出している。直線型が一般的な櫓の中で、乾櫓はL字型をしており、北側と西側の見晴らしがいい。 宮本裕次大阪城天守閣研究副主幹が櫓の内部を案内しながら「堀の外を行き交う自動車の走行音などがよく聞こえてきますね。戦時には敵の動向を探り、平時には町人たちの暮らしを見守る役割が、乾櫓にありました」と解説する。 象徴的な逸話が残る。大坂の陣で荒廃した大坂の再興を図るため、徳川幕府は3代将軍家光の時代に、大坂や堺の地代を永久免除する優遇策の導入へ踏み切る。事前に城下に根回し、町人代表らに乾櫓近くの堀端に集まるよう指示を出した。 「家光がおもむろに乾櫓に入り、西に向かって町人たちに分かるよう、金の采配を振った。これが地代免除決定の合図で、町人たちは『ありがたい』と歓声をあげました」(宮本研究副主幹) もうひとり幕末の14代将軍家茂も大坂城に駐在し、乾櫓を巡視している。 「家茂の巡視は長州との戦に臨む際、兵士たちを鼓舞するためでした。家光は徳川政権が上り調子のとき、幕末の家茂は徳川凋落期に乾櫓に入った。櫓と将軍とのかかわり方も、時代によって明暗が好対照でした」(宮本研究副主幹)