“ものづくり”に命を吹き込め 大阪・下町工場が挑んだ海外市場 「もう一度、がむしゃらに」
かつて”ものづくり大国”として世界をリードしていた日本。全国的な製造業の発展を支えたのは、地方の町工場たちだ。だが今、当時を支えた町工場は新興国との価格競争と継承者不足により、過去の勢いを失いつつある。 そんななか、なおも世界に挑もうとする町工場が大阪の下町にある。「世界の人たちに自社製品を知ってほしい。汗水垂らさなきゃ、モノとビジネスのなかに命は生まれない」。町工場の意地をかけ、海外市場に打って出た。
しがらみを断ち、市場を開く
スタンドミラーやコンパクトミラーなど鏡製品全般の製造・販売を手掛けてきた堀内鏡工業社長、堀之内茂美。約30年前、大手広告代理店を退職して家業を継いだ。 鏡の製造は大阪・平野区の地場産業だ。堀之内の工場は「仲間商売」と呼ばれる、同地周辺の問屋・工場内でサプライチェーンを循環させることで発展してきた町工場の一つだ。 社長に就任したのは、1990年代初頭。当時の日本はものづくりにおいて世界トップの位置にいたものの、中国をはじめとする新興国の製品にそのシェアを奪われはじめていた。 「今のままの状態が、今後も続くはずがない」。迫る危機を肌で感じていた堀之内は、自社努力で販路を開拓しようと動いた。 仲間商売は安定収入を得られる一方で、販路開拓に問屋から制限がかかるというしがらみもある。「なんでそんなんすんねん」「やめえや」。動きを察知して止めに入った地元問屋と袂を分かち、取引先を求めて全国を駆け回った。 商品には自信があった。品質の悪い鏡にあるような、ゆがみや変色がほとんどない。商品を手に専門商社から大手ドラッグストア、大手ホームセンターに営業をかけ、全国へと販路を伸ばしていった。 大きな契機になったのは、テレビショッピングへの登場だ。大手セレクトショップに卸していた「ナピュアミラー」。くすみの原因となる成分を取り除いたガラスと特殊な金属を重ね合わせた特許技術で作られた同商品は、堀之内の会社が独占販売権を取得していた。 「本当の肌の色を映し出す鏡」として人気を集めていた同商品がテレビショッピングバイヤーの目に留まり、生放送で販売された。大好評となり、登場するたびに品切れする大ヒット商品となった。 以前のように自社製品を持って駆け回らなくても、買い手のほうから寄ってきた。安定的な収入源を得て、それなりの知名度も得たころ。出荷を待ち、おとなしく並んだ商品を見て、「これでいいのか」と不安になった。 「モノは作った瞬間から鮮度を失い、死んでいく。モノに血を通わせるために、必死になって売るんです。お金が落ちるのを待つだけなんて、僕のビジネスじゃない。人生や工場のすべてをかけた商品を自分の手に持って、まだそれを知らぬ人たちに向け、がむしゃらになって売りに行く。それが、僕の意地なんです」と堀之内。 堀之内の製品がまだ見ぬ市場──。頭に「海外」の文字が浮かんだ。 うまくいくかはわからない。でも、世界で試してみたかった。