【朝ドラ『ブギウギ』のモデル・笠置シヅ子】本音は「恥ずかしゅうて」昭和21年の貴重な「楽屋訪問記」
戦後の日本で大ヒットした歌謡曲「東京ブギウギ」(1948年)。明るいメロディにのせて、大胆なダンスとともに力強く歌った歌手の笠置シヅ子(かさぎしづこ)は、「ブギの女王」として一躍スターとなりました。2023年度秋放送NHK連続テレビ小説『ブギウギ』の主人公・福来スズ子は彼女がモデルとなっています。 創刊119年目を迎えた雑誌『婦人画報』では、1946年(昭和21年)6月号で、同郷の文芸評論家・編集者の十返一(十返肇/とがえりはじめ)が笠置シヅ子の楽屋を訪問。笠置シヅ子のファンの一人として、舞台を終えたばかりの彼女の様子を綴っています。 かさぎしづこ●1914年香川県生まれ。戦前から戦後にかけて歌手として活躍。幼少の頃より歌や踊りが上手と評判だった。その後「松竹楽劇部生徒養成所(OSK日本歌劇団の前身)」に入所。戦時中、作曲家・服部良一と出会ったことによってジャズ歌手として活動する。戦後、服部良一が作曲した「東京ブギウギ」(1948年)が大ヒットし、一世を風靡した。1985年、70歳で逝去。 とがえりはじめ●1914年香川県生まれ。文芸評論家。本名は十返一。学生時代から文芸評論を行っていたが、森永製菓に勤務後、第一書房に入社。その後、文芸評論家として、十返肇を名乗る。 著書に『「文壇」の崩壊』(講談社文芸文庫)など。妻は婦人画報社(現・ハースト婦人画報社)記者で、後に随筆家となった十返千鶴子である。1963年、49歳で逝去。
笠置シヅ子楽屋訪問記 取材・文=十返一(十返肇)
■エノケン相手に大芝居 訪問する前に、久し振りに笠置さんを見ておこうと思って折から有楽座のエノケン[*1]一座に特別出演する『舞台は廻る』を客席でみた。 『舞台は廻る』での彼女は、単に歌うだけではなく、エノケン相手に達者な芝居を見せる。生地の大阪弁を縦横に駆使にして、科白[*2]は闊達[*3]だし、何より、例によっての芸熱心には、率直に言って敬服した。 彼女に初めて会ったのは、昭和13年。まだ三笠静子という芸名だったと思うが、淡谷のり子の『別れのブルース』がヒットしたときのお祝いの会の席上であった。 その後、彼女が帝劇の舞台で、篠田賞の『紺屋高尾』[*4]を替歌にした。「あれはダイロンバーワ(編集部注:原文ママ/タイロン・パワー[*5])といういま売り出しの2枚目で」なぞという妙な歌謡浪曲をしばしば聞くに及んで、僕はすっかり彼女のファンになってしまった。替歌が僕をひきつけたのではなく、その芸熱心が僕のこころを「ドキン」とひきつけたのである。 さて、僕は舞台からうけた印象を失わない間にと思って、客席から大急ぎで楽屋を訪れた。 <写真>映画『銀座カンカン娘』の笠置シヅ子(左)と高峰秀子。音楽は作曲家の服部良一が担当した。