「平成という時代は消えない」フィーバーの旧町民しみじみ
平成に変わる新元号「令和(れいわ)」が1日、発表された。1989年1月の平成への改元当時、町内に「平成(へなり)」という地区があることから脚光を浴びた岐阜県の旧武儀町(現関市)生まれの公務員・西部(にしぶ)英利さん(38)は「平成に感謝しながら、新しい元号の時代を迎えたい」としみじみと語った。 【写真】改元発表に沸く「平成」地区の一日――その裏にある地域の課題を見る
一時は町名変更案も浮上した
元号が発表された1989(平成元)年1月8日当時、西部さんは当時小学2年生。「親が『元号が昭和から平成に変わったけど、これは武儀町にある平成(へなり)と同じ字だね』と話していたのを覚えています」と振り返る。 その日以降、元号と同じ表記の平成地区をひと目見ようと、大勢の人々が訪れる「平成フィーバー」が起こった。「特産品のシイタケや、平成と名のついたグッズが飛ぶように売れたそうです。また、道の駅もできましたし、平成という元号が、地域の振興に力を貸してくれました」
一時、旧武儀町内では「平成町」に町名を変更してはどうかとの意見も出たが、「一過性ではないか」などとの反論があり、結局実現しなかった。全国各地で市町村合併が進んでいた2005(平成17)年、旧武儀町は関市に編入された。 天皇陛下の生前退位が決まった後、旧武儀町の住民らは「ありがとう!平成時代実行委員会」を結成し、「平成最後の春まつり」や「平成の山から初日の出を見る会」など、平成にちなんだイベントを開催してきた。関市職員の西部さんは、同委員会の事務局スタッフを務め、新元号の発表当日は、新元号発表のパブリックビューイングの運営にあたっていた。 元号が平成から令和に切り替わるまであと1か月。西部さんは「当然寂しさはありますが、最初の元号の大化から数えて平成は247番目。元号は変わっても、平成という元号の時代が消えてなくなるわけではありません。この地域でもまだまだできることがあると思うし、これからも地域づくりに務めることが大事だと思います」と話した。 (取材・文:具志堅浩二)