<調査報道の可能性と限界>第6回 調査報道の難しさ「情報源秘匿」と「1人旅」
■調査報道での捏造の「最悪例」
ところで、調査報道は「当局発表に依拠せず、自らの責任で取材・報道を行う」以上、常に「間違う」危険をはらんでいます。裏付け取材が不十分であれば、調査報道は完成しません。その不十分さに記者が気付かなかったり、放置していたりすると、誤報の元になりかねません。さらに記者が功名心にかられて、記事を捏造してしまうことすら起きます。 米国のワシントン・ポスト紙が1980年に掲載したルポ「ジミーの世界」は、最悪例としてよく引き合いに出されます。若い女性記者は調査報道の結果として「注射に生きる8歳のヘロイン常習児」という長編記事を書き、翌年のピュリツァー賞を受賞しました。ところが、間もなく、この記事は完全な捏造だったことが発覚します。記者は「取材源の秘匿」を盾にし、取材中はもとより、「誤報や捏造ではないか」と疑われた後も、上司らに取材の組み立てを簡単に明かしませんでした。取材のプロセスをしっかり管理できていなかったことが、記者の暴走を許したと言えます。 全てが調査報道の分野というわけではありませんが、日本でも、朝日新聞による「伊藤律 架空会見」(1950年)のような虚報・誤報記事は枚挙に暇がありません。「誤報 新聞報道の死角」(岩波新書、後藤文康氏著)などを見ていると、ため息が出そうになるほど。そしてほとんど事例が「記者の功名心・虚栄心」に端を発しており、取材プロセスを上司らがきちんと把握していなかった、つまり製造工程の品質管理がずさんだったことが原因だと分かります。
※ ※ ※ 新聞社などメディア各社の取材力が問われる「調査報道」。過去に数々の調査報道を手がけてた経験を持つベテラン記者が7回連載で「その可能性と限界」について解説する。最終回「調査報道の将来は?」は10月7日(火)に配信予定。