大正3年、日本でヒット曲が誕生。日本初の《歌う》新劇女優・松井須磨子さんの「カチューシャの唄」
1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、家で気軽に音楽を楽しめるようになりました。日本では1903(明治36)年にSPレコードが輸入されて以来、音楽がより身近に。終戦後は「東京ブギウギ」などの大ヒット歌謡曲が人々を元気づけました。黎明期から製造中止期までに作られたSPレコードを小学生の頃から集めている高氏貴博さんのコレクションから選りすぐって紹介します(構成=田中亜希 撮影=村山玄子(写真のレコード・蓄音機はすべて高氏さんの所蔵品)) 【写真】日本初のレコードは誰のもの? * * * * * * * ◆歌い手の息遣いがすぐそばに レコードが生まれたのは1877(明治10)年。最初の円筒型は日本では普及せず、1900年代(明治33年頃)から円盤型が出回るようになります。これがSP盤で、LP盤が普及するまでの60年間は主流でした。 ●出張録音された快楽亭ブラックの落語《明治36年》 英国から録音機材を運び込み《出張録音》され、英国に持ち帰ってプレスされたのち、日本で発売されたという快楽亭ブラック(初代)の落語。録音技術の流出を防ぐため、ホテルの一室で厳重警備のもと収録されたという(「滑稽咄蕎麥屋の笑」GRAMOPHONECONCERT RECORD、1903年) 私が持つもっとも古いSP盤は、1903年収録の落語「滑稽咄蕎麥屋の笑」。イギリスのレコード会社が来日し《出張録音》しました。1908年に日本初のレーベル「NIPPONOPHONE」(のちの日本コロムビア)が誕生するまでは、米英による出張録音が主流だったのです。
●日本初の〈歌う〉女優・松井須磨子《大正3年》 芸術座の舞台『復活』で須磨子が歌った劇中歌「復活唱歌」は2万枚を売り上げる大ヒットに。マイクが発明される以前の作品で、無伴奏アカペラで吹き込まれている(「復活唱歌」ORIENT RECORD、1914年) 1914(大正3)年、日本でヒット曲が生まれます。日本最初の《歌う》新劇女優・松井須磨子さんの「復活唱歌」(通称「カチューシャの唄」)です。 当時はマイクがなく、録音機につけられたラッパに向かって直接吹き込む方法。雑音も多く決して良い音質ではありませんが、歌い手の息遣いをすぐそばに感じられる臨場感が魅力です。 ●日本初のレコードレーベルが誕生 「NIPPONOPHONE」のレコード収納袋には、蓄音機に耳を傾けるビクター犬に対抗し、大仏が耳に手を添えているイラストが。作品は日本の声楽家第1号・三浦環のもので、この頃はピアノ伴奏もあり(三浦環「來るか來るか」NIPPONOPHONE、1921年) ●持ち運びができるポータブル蓄音機が主流に 蓄音機と言えばラッパ型がイメージされるが、実は1930年代からは箱型のポータブルが広く普及した。当時はピクニックに持っていくのが流行ったそう (構成=田中亜希、撮影=村山玄子)
高氏貴博