日本男子マラソンはなぜ世陸で惨敗したか
北京で始まった世界選手権の開幕レースだった8月22日の男子マラソン。日本は想定内だったとはいえ、大惨敗といえる結果に終わった。 スタート時の気温は22度で湿度77%の条件の中、5キロ16分06秒のスローペースで始まったレースは、バーレーンやイタリア勢が先頭に立って引っ張り、集団は徐々に縦長になった。そんな中、10キロ地点では藤原正和がトップから2秒差の7位に付け、前田和浩は34位ながら5秒差に付けていた。 藤原は「集団の中で揺さぶりはあったが、前回のように後ろから行ってインターバルのようになるよりは、前の方にいて多少の揺さぶりはあってもついていった方が楽だと思ったから」と言い、前田は逆に「前にいて揺さぶりに反応し過ぎないようにと考えて後方にいた」と、ともに思惑通りの位置取りをしていた。 だが「後ろにつき過ぎたので、前のペースアップへの対応が遅れたのかもしれない」という前田は、ペース変化の中で徐々に遅れ始め、15キロではトップから8秒差になりその後はジワジワと遅れた。 一方15キロ通過は4位だった藤原も、16キロ過ぎにケニアやエチオピアなどのアフリカ勢が集団を形成してペースアップしたのについていけず、第2集団に取り残された。その第2集団は19キロ手前でペースダウンした先頭集団に追いついた が、藤原は追いつけずにひとり旅になって、ジワジワ離され始める展開に。「ひとりになってから前を追っていこうと思っていたが、離されてからは体が動かなかった」と言うように、20キロからの5キロはいきなり17分23秒に落として失速、その後も18分台を続けて最後は2時間21分05秒で21位という結果に。「19キロ過ぎからは両足に痙攣が起き、その後は痙攣との戦いだけになってしまった」という前田は、2時間32分48秒で40位と、戦いを挑めないままで終わったのだ。 今回はケニア勢が早めに脱落し、2時間07分47秒がベストだった19歳のゲルマイ・ゲブラセラシエ(エリトリア)が優勝し、持ちタイムは2時間10分42秒のソロモン・ムタイ(ウガンダ)が3位と、ダークホースが活躍したレース。