ヤクルトの館山、畠山の引退試合で36号惜別アーチを放った19歳の村上宗隆が受け継ぐものとは?
館山と対照的に「2軍の試合を通じても今まで一番冷静に打席に入れた。もっとこみあげてくるものがあるかなと思ったけれど」と振り返ったのが畠山だ。 6回、小川監督は4番のバレンティンに代え、畠山を代打に送った。 「4番とは…こんなサプライズがあるのかと。驚いたし嬉しかった」 いつもなら周囲の声が聞こえないほどシャットアウトして集中するが、この打席では「ファンの声を噛みしめ、最後に目に焼き付けてもらおうと思った」という。 それでも冷静になれた理由は、もう不安がなかったから。 「これまでは、2軍でさえ打てなかったどうしようと、不安を抱えながらプレーしていた。が、それがなくて。だからこそ冷静に入れた」 全球ストレートで勝負してきた柳のスピードにタイミングが合わなかったが、独特の左足を空中で動かしてタイミングを取るフォームでフルスイング。セカンド後方へふらっと上がった打球が、プロ通算937本目のヒットとなった。 遅咲きの4番打者として2015年には打点王になって優勝メンバーとなったが、なかなかレギュラーに安定せず、1、2軍の入れ替えをずっと味わってきた叩き上げの男だからこそ、常に危機感を持っていたのだ。晩年は故障に苦しみ満足な結果を出せず、今季は1軍での出場機会がなかった。 引退スピーチでは「宮本ヘッドに厳しく育てられた」と語り、全席ソールドアウトの神宮球場を笑いに包んだ。 「宮本さんは、ほんとに厳しかった。僕はやるときはやる、休むときは休みたいというタイプだったから、宮本さんのように、練習をたくさんした自分を見てみたかった、というのが正直な気持ち。宮本さんは、365日、常に頭の片隅に野球を置いてきた選手で、僕はオンオフを切り替えていた男。常に野球と向き合う生活はしたことがなかった。だから宮本さんをリスペクトしてきた」 高津2軍監督からは、26日のファームの試合出場を打診されたが「若手にチャンスを」と断ったという。 引退してやりたいことがあるか?と聞かれ畠山は「ないんです」と即答した。 「多趣味すぎて野球をしてても好きなことを全部やっていた。だから今オフになってやりたいことはないんです」 第二の人生はまだ白紙。 「明日からの人生のほうが長い。そこで成功できるように切り替えてやりたい」 畠山は豪快に笑った。 ヤクルトのひとつの時代を支えてきた2人の引退試合に花を添える惜別アーチを放ったのが村上だった。4回、一死から柳の初球のインサイドへのストレートを完璧に捉えた。打った瞬間、「いくかなと思った」と、村上自身が感じる、特大の36号アーチがライトスタンドへ消えた。 中西太さんの高卒2年以内選手の最多本塁打記録に並ぶ36号。 「並べたことが光栄。まだ残り試合があるので、その記録を越せるように頑張りたいです」 一塁のポジションを争った畠山とは、この2年、ほぼ入れ違いだった。1年目は村上が2軍で、畠山が1軍、今年は立場が入れ替わった。 それでも「畠山さんと関わる機会は少なかったのですが、いろんなことを少しずつ話してくれました」という。 そして伝説の2人の引退式を前にこんな決意を固めた。 「野球を終わる(引退)というのは、僕は今は考えられないのですが、野球を終わるとき(引退)、僕もこのようなセレモニーをしてもらえる選手になりたい。チームの優勝に貢献してきた先輩たちみたいに優勝に貢献できるように、(チームを)引っ張るじゃないですが、そのような気持ちで頑張りたいなと思いました」 館山、畠山からのバトンを村上はしっかりと受け取った。レジェンド2人に代わってヤクルトを背負って立つ19歳は、残り4試合で、36本、96打点の数字をどこまで伸ばすことができるのだろうか。