「人口減少時代」とは、時代を支えた文明が行き詰まった時代だった
「少子化」は40年以上前に打ち出されていた方針
また、人口減少の要因である「少子化」へのシフトにも着目しています。今回の「少子化」は、実は40年以上に打ち出されていた「政策」、「世論の結果」導かれた、というのです。 1974年4月、人口問題審議会が提出した人口白書は、人口が増えも減りもしない「静止人口をめざして」という副題がつきました。その年の夏、ブカレストで開かれる世界人口会議で、途上国で起きている人口爆発の抑制が課題となったことが背景にあったといいます。同7月には日本人口会議で「子どもは二人まで」が決議され、大々的にマスコミも大々的に報じました。 白書では、予想通りに出生率を引き下げることができれば、2011年からは人口減少に転じると予測。ほぼその通りの結果になったことからも、鬼頭氏は出生率を下げる国を挙げての当時の世論が、「少子化」へと若者の心理的変化を“加速”させた面があったと指摘しています。 また、少子化現象は先進国・新興国に関わらず起き、日本を含め、先進国では1970年代ほぼ一斉に始まった点にも注目します。大国の中国が2020年代、インドでも21世紀中に人口減少に転じると予想されていることから、鬼頭氏は、今世紀は世界的に「産業文明が成熟段階に入った」、「新たな文明への転換を準備する」時代で、「少子化」へのシフトはこうした時代の転換を象徴している、ととらえているわけです。 少子高齢社会のほか、問題視されているのが「東京一極集中」です。鬼頭氏は、人口減退した江戸後期は、都市=蟻地獄と例えられるような生活環境の悪化もあり、現代の日本同様、都市部で結婚や出生率が低く、都市の人口維持は、農村部からの人口流入に頼っていた史実を紹介しています。 しかしこの時期、各地に特産物が生まれ、農村工業が盛んになるなど地方でも経済発展が起こったことが、すぐには人口増に至らなかったものの、やがて幕末から明治初期の人口上昇に転じる新たな人口波動へとつながった、と指摘。つまり江戸後期の人口減退も、実はアジアの中で開国後にいち早く産業文明を受容し、近代化をはかることができる準備となっていた、という興味深い視点でみています。