眼鏡、かけずにはいられない/執筆: 柴田聡子
中学2年生、視力検査ではじめて悪い結果が出たとき、おちこみつつも密かにやった! とよろこんだ。家族に報告、はじめての眼鏡を作ることになった。いつからかわたしは眼鏡に憧れていて、かけたくて仕方がなかったからうれしかった。そこからもう長いことわたしは「眼鏡の人」である。 柴田聡子さんの1か月限定寄稿コラム/TOWN TALK
学生の当時、眼鏡にくっついていたイメージは山ほどあって、そのほとんどはポジティブというよりはネガティブで、それは単純に「眼鏡」とくくられて眼鏡をかけている人への呼び名になっていたりもした。自分は部活動用にコンタクトレンズも併用していたせいか、眼鏡のみ使用する人に対するほどしつこく唱えられることはなかったものの、眼鏡をかけている人間にしか聴こえない「あなたは眼鏡」という呪文にだんだんと影響を受けて、「自分は眼鏡」としらずしらずに思い込んだ。そうしてちょっとずつ眼鏡から離れる道を絶たれている? 絶っている? 両方の感覚をおぼえながら、ネガティブなイメージに縛り付けられる眼鏡に対する、眼鏡かけ(バイク乗り、みたいな感覚の言葉です)としての意地みたいなものも生まれていた。眼鏡の人として過ごす時間が長くなるにつれて、眼鏡をかけている人のイメージにどんどん寄っていく自分にしずかな危機を感じながらも、そうと簡単に決めつけてくる人には、眼鏡をかけつづけることで、眼鏡のネガティブイメージを逆手にとって、おとなしそうだろ? だけどな……などと威嚇していたような気もする。死んでもかける、と思っていた。
20代のなかばくらいまでは「なんで眼鏡なんですか?」と聞かれることも多くあった。ライブ終わりに話していたお客さんから「眼鏡をはずしたほうが素敵ですよ!」と言葉をのこされたり、バイト先の飲み会で「眼鏡はずしてください!」と要求されたりするたび繰り出される、眼鏡はどこかあなたを損なっているものであり、枷なのだ、はやくそこから自由になって、そして秘めたるちからを見せてください! という出どころ不明の謎の思想をふしぎに思っていた。こういう出来事を振り返ってみると、眼鏡はずっとたいへんだったんだとあらためて思う。矯正器具としての役目を果たしながら、そのかくしきれない魅力で長いこと人々をはからずも翻弄してしまう。求めても目指してもいないのに、魅力がありすぎるがゆえに、なにかおおきなものを背負わされ歴史に揉まれてきた。そんな眼鏡の光と影を知って、私もまた完全に魅せられて、いよいよ眼鏡から離れられなくなってきた。