甲子園初の完全試合を生んだ「松本の3センチ」...前橋・松本稔「その瞬間、スピードもコントロールもカーブもすべてよくなった」
【奇跡を呼び込んだ「松本の3センチ」】 ただ、エースで4番を打つチームの大黒柱だった松本は、他の選手とはちょっと違った。自分の出来が間違いなく勝敗を左右する。対策を講じなければと思っていたことがいくつかあり、そのひとつが甲子園球場の形状だった。 テレビで見ていたアルプススタンドはすり鉢状で、画面を通して伝わってきたのはマウンドに覆いかぶさるような威圧感。これが投球にどう影響するのか、とても気になっていた。でもその心配は、初めて球場に足を踏み入れた甲子園練習であっさりと解消された。 「実際に自分の目で見て、案外そうでもない、大丈夫だなと。これが平常心を保つためにすごく大きかったと思います。そして、それをあと押ししてくれたのが、本番ギリギリでのフォーム修正。サッカーでは『三笘の1ミリ』『山下の1ミリ』って絶賛されていますけど、俺に言わせればまさに『松本の3センチ』です。これがなかったら、完全試合は間違いなくありませんでした」 試合を目前に控えた一番の不安材料は、こともあろうに自身の絶不調だった。前年秋に関東大会を戦った時のいいイメージはなく、このままでは戦えないと気持ちは切羽詰まっていた。 「試合の3日前くらいにどうにか修正しなくちゃいけないとやってみたのが、右腕の振る位置を少しだけ下げてみることでした。3センチほど下げたら、驚くほどにその瞬間、スピードもコントロールも、カーブの曲がりもすべてよくなったんです。監督から何か言われたわけではない、自分で試したことがピタリとハマりました」
【トトカルチョのオッサンもびっくり】 試合当日、球場入りを前に、前橋ナインは当時甲子園球場の目の前にあった甲陽学院中・高校のグラウンドを借りて練習していた。フォームを修正したのはいいが、本番でそれをしっかり再生できなければ意味がない。 「調子を取り戻した肘の高さがまたわからなくなったら......という不安はもちろんありました。でも、投げたらボールがビューンと走って、このまま甲子園のマウンドに立てば面白いぞと思いましたね。気持ちもすごくラクになりました。そして、そのあと球場まで歩いて移動したんですが、知らないオッサンがいきなり話しかけてきて『どうや、今日の調子は?』と。その時はなんで俺にそんなこと聞くんだって思ったけど、あとから気づきました。あれは『トトカルチョ』のオッサンだったんだって(笑)」 イタリアのサッカーくじが語源のトトカルチョ。今は公式なもの以外、金品を賭ける賭博行為はもちろん法律で禁止されているが、当時はダフ屋とともに球場の外に必ずそんな大人がいた。まさに昭和の原風景である。 でもその男性、試合後に腰を抜かすほど驚いたはずだ。何気なく話しかけた小さな青年が、直後に球史に残る偉業を成し遂げてしまうのだから。男性にとって生涯の自慢話のひとつになったであろうと、勝手ながら想像する。 「投球フォームで昔から言われていたのが、リリースポイントで肘の位置が低くなってはいけないということでした。だから調子が悪くなって肘を上げるようにした人はいっぱいいたと思うんですが、俺はそこで逆に下げた。言い換えれば、それまで肘が高すぎたから調子が悪かったということになります。 ものを投げたりする時の動きで肩への負担が少なく、もっとも力を出せるとされるゼロポジションを、直前で探し出せたのは大きかったですね。なぜ引き寄せられたのかはわからない。たぶん、小さいころからボールと遊び、いろいろ感じるなかで筋肉の感覚というのが人より少しだけ敏感になり、それがここぞのときのヒントになったのかもしれません」