内モンゴルのブリヤート族。他の氏族とは違う衣装や生活スタイルを持つ
日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚ましい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのでしょうか。 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。
世界中には、いくつものモンゴル民族の氏族が散らばっている。 日本で知られているのは、モンゴル国のハルハ族や内モンゴル自治区のチャハル族、バルグ族、ハルチン族などほんの一部の氏族だけ。ほかにもロシアのブリヤート共和国のブリヤート族、カルムイク共和国のカルムイク(あるいはオイラト)族、そして中国新疆ウイグル自治区のトルゴード族などがいるのだが、あまり知られていない。 そして、私はその中のブリヤート族に、子供の時から強い関心を持っていた。 なぜなら、子供の時、父の書斎にブリヤート族の写真集があり、他のモンゴル氏族と違う衣装、生活スタイルが魅力的に思えたからだ。彼らが生活しているフルンボイル草原も遠くて、憧れの地だった。 ブリヤート族は現在、ブリヤート共和国があるロシアのバイカル湖周辺に44万人以上、モンゴル国の東部に4万人以上、そして中国の内モンゴル自治区のフルンボイル市エベンキ族自治旗のシニヘン・ジューグン(東)・ソムとシニヘン・バロン(西)・ソムに8000人以上が生活している。 ロシアのバイカル湖西岸のブリヤート族は300年以上にわたってロシア文化の影響を受けたため、かなりロシア化されている。東岸はそれに比べれば、少しは状況が良いが、やはり若い世代にはブリヤート語が話せない人やその文化を知らない人が多くなっているのが現状だ。一方、内モンゴルのブリヤート族は独自の文化や言語を守り続けている。(つづく) ※この記事は「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第14回」の一部を抜粋しました。
---------- アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA) 1977年 内モンゴル生まれ 2001年 来日 2013年 日本写真芸術専門学校卒業 国内では『草原に生きる―内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。 主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。