両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.8
DKBA
「マナプロウが陥落したとき、私は補給部隊を指揮していた。最後の最後まで、どちらの決断を下すべきか悩んだが、もう1度だけKNLAの指導部を信じてみようと決めた。結果的に、その判断は間違いだったがね」 還暦を過ぎた将校は、半ば苦笑するように言った。 「祖父も、父もKNLAの士官だった。15歳で正式な兵士になったときは、まだこの戦争に勝てると信じていたよ」 彼はDKBA最高幹部のひとりだが、彼の属する「現在のDKBA」はマナプロウ陥落のきっかけとなったDKBA(カレン仏教徒軍)ではなく、同じ略称を持つDKBA(カレン善隣軍)である。カレン族の協力者の手引きでKNLAの駐屯地を訪ねた数日後、取材班はまた別のビルマ族の協力者の手引きでDKBAの駐屯地を訪れた。 「あのときも、今でも、KNLAや欧米人の連中は『ミャインジーグー僧正の暗殺計画などなかった』、『暗殺計画は、KNLAの分断を狙ったキンニュン(ミャンマー軍の元大将で元首相)の情報操作だった』と言うが、私には信じられない。なぜって? キリスト教徒を信じて、私はあのときKNLAに残り、結局裏切られたからだよ」 日本のメディア関係者の中で、もっとも長くKNLAの取材を続けているジャーナリストの宇田有三は「カレン人のおそらく7~8割は仏教徒である」と推測しているが、KNLAの指導部はほとんどキリスト教徒によって占められている。
ウトゥザナ
1948年、ミャンマー独立の翌年に生まれたミャインジーグー僧正ことウトゥザナは、シュエジン派の僧侶から還俗してKNLAに参加した。その後ふたたび得度し、KNLAとミャンマー国軍の戦闘によって荒廃した仏教遺跡の復興や仏塔建立を精力的に進めた。そして徐々に、KNLAの兵卒の多くを占めていた仏教徒のカレン族たちの支持を集めるようになった。 「分裂の随分前から、KNLA指導部に対して違和感を持つ仏教徒たちは少なくなかった……私自身もそうだ。彼らのやり方は、まるで傲慢な欧米人みたいだったよ。もうKNLAの取材もしたんだろ?」 取材班は首肯したが、具体的な情報については答えなかった。 「彼らは得意気に言ったはずだ。『仏教徒のカレン族に対して、我々がキリスト教の信仰を強要したことはない』と。でもそれこそがキリスト教徒や欧米人の連中のやり方なんだよ。つまり、こういうことだ。どうして、KNLAの支配地にある国内避難民のキャンプには、たいてい教会が建っているのか? 彼らは言うだろう。『この教会を建てるための金を出したのは、我々じゃない。米国人の寄付だ』。医療援助に来る白人たちもそうだ。彼らは、彼らの金でキリスト教徒のための祭りを開く。でも、その祭りにはキリスト教徒しか参加できなかったとしたら……そのキリスト教徒しか参加できない祭りでは普段よりマシな食事にありつけるとしたら。兵士たちの多くを占める仏教徒の子供たちはどう思う? ボランティアでやってきて、子供たちに英語を教える親切な連中が、折に触れてキリストについて説法したらどうだ? 私の考えじゃあ、それは『洗脳』だよ」 (Vol.9に続く)
Project Logic+山本春樹