両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.8
まさに「地獄」の様相を呈している――2021年に発生した軍部によるクーデター以降、ミャンマーでは軍事政権の国軍(ミャンマー軍)と、軍事組織としてのKNLAを有するKNU(カレン民族同盟)やカチン州、シャン州、カヤ州などの武装勢力が組織した反政府(反軍事政権)の連合的武装組織PDFの戦闘が激化している。今年に入り、軍事政権はついに18歳以上の国民を徴兵するとまで発表した。 2024年現在、ミャンマーに向けられる視線は「反民主的な軍事政権VS民主化を求めるレジスタンス的武装勢力」の構図一色に塗りつぶされているが、はたしてクーデターが発生する前のミャンマー、そのディテールに目を向けていた者がどれほどいただろうか。 本連載は、今では顧みられることもなくなったいくつかの出来事と、ふたつの腕で身体を引きずるように歩くカレン族の牧師を支えた日本人武道家を紹介するささやかな記録である。
ワンカー
給料が存在しないKNLAのシステムについては、〈西山/西岡〉自身の解説が分かりやすい【*】。 〈ここで生きる人々は、労働力や手間を生活共同体のために提供することを厭わない。KNUは何の強制・脅迫も行わない。こうしなければこうなるゾ!などという理屈はなく、ただ待っていてもだれも助けてはくれない、という単純で自然な姿勢が暗黙の了解としてあるだけである/KNUのカレン人たちは、カレン州はもとより、モン州の一部からテナセリウム管区に連なる地域を「コートゥレイ」と呼び、七つの管理地区に分けている/七つの各管区庁ではスマグラー(密輸業者)の出入取締りを行ない、取引額に八パーセントを課税したり、通行税を徴収したりする/またカレン軍は専従の職業兵士からなるKNLAのほか、農・林・漁業から難民?までの副業を持つ男たちのKNDO(民族防衛機構)がある/さらに戦禍で肉親を失ったり、仕事を持てずに軍に志願する少年たちも、十五才を過ぎるまでは前線に兵士として立つことはできず、毎日、後方と最前線を補給物資を担いで往復することになる。彼らのような少年兵もまた、KNLAの編成には加えられていない〉【西山孝純『カレン民族解放軍のなかで』(アジア文化社)より引用】 彼の著書『カレン民族解放軍のなかで』が発表されたのは、1994年の1月だった。そして〈コートゥレイ〉の首都であるマナプロウや、要衝ワンカーがミャンマー軍によって攻略され、KNLAがその支配地域を大幅に失うとともに、反国家的統治機構としての機能に致命的な損傷をうけるのは、同書の刊行からわずか1年後のことだった。 〈西山/西岡〉が確固たる自信を持ち、言葉を尽くして称揚した、カレン族の民衆に支えられているはずのKNLAはどうして、約束されたはずの大地を手放すことになったのか。 この点について、〈西山/西岡〉とともに陥落直前のワンカーで戦闘に参加していた高部の回想はいかにもあっさりしている。 〈一九九五年一月、カレン軍司令部マナプロウはミャンマー軍の攻撃によって、ついに陥落してしまう〉【『戦友』より引用】 これは事実のようで、事実とはいえない。義勇兵としてKNLAで戦った経歴を持つ高部は、マナプロウ陥落の事実に対して強い政治的配慮を働かせているからだ。マナプロウは、ただミャンマー軍の攻撃によって陥落したのでなかった。KNLA内部で深刻な対立が生じ、DKBA(カレン仏教徒軍)と名乗る、カレン族による新たな武装勢力が誕生したことで、マナプロウは陥落への道を辿ったのである。 【*】西山や高部以降も、KNLAに関わった日本人は複数存在する。現在にいたるまで、長年に亘ってKNLAの一員として活動している沖本樹典は、2023年に『カレン民族解放軍』(パレード・ブックス)を上梓したが、同書にも兵士たちの金銭面についての言及はない。