【オートレース】悠然と構えるベテランへ姿を変えた荒尾聡「年の功で頑張りますよ」~川口SG日本選手権
あの時、男の人生は大きく向きを変えた。誰よりも恋い焦がれ、何よりも渇望し続けたタイトルは、つかみかけたその手からするりと逃げてしまった。 今から4年前の2020年大会。優勝戦で荒尾聡はついに先頭に立ちかけた。しかし、その直後に後続車と接触してアスファルトの上へと投げ出されてしまった。 あのままトップの座を守っていたならば、「選手になって日本選手権に勝つことが何よりの一番の目標です」と公言し続けていたライフワークを完全成就させることができた。その年のMVPもおそらく手にしていただろう。でも、そのすべてが荒尾の目の前から霧散した。 しかも激闘の後、落車は自己責任との判定が下った。判定は、判定だ。審判団のジャッジがこの世界では絶対であり、すべてである。もちろん一度下された判定は覆らなかったが、同じ選手間の声は荒尾に深く同情的だった。その思いは、荒尾本人がもちろん最も感じるところだった。 己がやるべきこと、果たすべきことを、2001年にレーサーとなって以来、すべての体力と魂を注ぎに注いで、ここまでやって来た。その自負しかなかった。それが、はかなく水泡と化した。やるせない感情はここに頂点へと達した。 その時、荒尾は感じた。ここまで張り詰め切っていた何かがプツンと小さな音を立てて、切れてしまったことを。もう、腹は決まっていた。自宅に戻ると、彼を支え続け、サポートの限りを尽くしてきた愛妻へ「選手を辞めようと思う」と告げた。 あの日の心境を、荒尾は今では懐かしそうに伝えてくれた。「はい、あの瞬間はもう本当に選手を辞めてしまおうと思っていましたからね。それまで自分が掛けてきた情熱をこれからもオートレースに向けることができる自信までがなくなったというか…。オートレース業界はいいところです。お世話にもなりました。でも、人生はオートの世界だけじゃない。もっと違う世界を見るのもいいのかなって、本当にあの時は思いましたね」 その言葉を聞いていた妻は、彼女の素直なリクエストを夫である荒尾に伝えた。「選手を辞めるのはいい。でも、もう一度、もう一度、チャンピオンになって。辞めるのはその後にね」 荒尾はその言葉を静かに受け止めた。「もうね、あの時、もしも自分がひとり身だったらきっと辞めていたと思います。うん、絶対にそうしたと思います。でも、自分には大切な家族がいますからね。嫁がいて、子供がいて、僕はひとりじゃない。だから、またこうして戦えるようになったんです」 荒尾聡という男は、引きずらない。一度道を決めたら、覚悟を据えたら有無を言わずひたすら前へと突き進んでいく。そこらのヤワな人間とは種類が違う。そして、やってのけた。翌年の全日本選抜オートレースを荒尾は勝利した。わずか数か月で、SG制覇を叶えてみせた。 思えば、2020年大みそかで荒尾のレーサー物語の第一章は、終結していたのかもしれない。一話完結を作者は固く決めていたが、家族の声で再び続編を紡ぎ始めた。 2021年から荒尾は、オートレースへのアプローチをそれこそ180度の勢いでシフトチェンジした。以前のピリピリ、ヒリヒリ、とんがり切って、ひとをも寄せ付けないえぐいオーラを封印し、どっしりと動じない、落ち着きと余裕ある姿勢で激闘に、ライバルたちに対峙した。 決戦を目の前に控えた若かりし頃の荒尾に声を掛けることなんて、仲のいい選手でさえできなかった。すべての集中力と気持ちが勝負モードに突入して、ひたすら険しい表情で無言を貫いた。でも、今は違う。時に笑顔を浮かべながら、こう言う。「優勝?そんなの知らんよ~。まあ、自分のやれることをやるだけだからね。あとは、成るようになる!!今の僕はそんな感じです」と。 成るようになる。この言葉を多用するようになってから、荒尾はすごみを増していった。力んで、ムキになる若手から、泰然と悠然と構えるベテランへ。荒尾はその姿を変えた。 そして、今を迎える。2024年の日本一決定戦を彼はどう戦っていくのか。今もなお、ダービーの勲章に大きなこだわりはあるのか。その問いに、荒尾はやさしくほほ笑みながら正直に気持ちを伝えてきた。 「選手権かあ。僕に一番縁のないタイトルですね(苦笑い)。だって、取れそうで取れないんだもんね。もちろん、勝ちたいですよ。だって自分たちは27期だからね。養成所の所長から『選手権を取って一人前』とずっと言われ続けてきましたからね。でもまあ、どうなるんですかね…」 荒尾は今、レース場へ仕事としてやって来ることが時に憂鬱になってしまうという。「だってずっと家族と一緒にいたいし、『ああ、仕事かあっ』て気持ちが乗って来ない時は正直ありますよ。でもね、そんな時にうちの嫁がね、もう最高においしいメンチカツを作ってくれるんです!それを子供と一緒に食べると、一気にスイッチが入るんです。よ~し、みんなのために頑張ってこよう!ってね。本当にね、嫁のメンチカツは日本一だと思います。絶対に日本一だから(笑い)」 愛妻が無事と安全と活躍を願って、真心込めてこしらえる日本一のメンチカツを口にしてパワーを注入し、荒尾は日本一の座へと駆け上がっていく。 「もしも選手権を勝ったら、それが僕のレーサーとしての集大成となるんでしょうね。選手権に優勝することができたら、メンチカツパーティーが祝勝会ですね!年の功で頑張りますよ!」 年の功。今の荒尾聡に何よりも似合う、相応しいフレーズだろう。何が起きても、そのすべてを抱きかかえ、受け止める。今、真の勝負師がここにいる。あっぱれ、荒尾聡。 (淡路 哲雄)
報知新聞社