1軍外され激怒「なんやねん、それ」 22歳が“引退宣言”…指令で激変した野球人生
工藤一彦氏は5年目、OP戦で好調も開幕2軍スタート…決意を固めた
“タイムリミット”を設定していた。元阪神投手の工藤一彦氏はプロ5年目の1979年から1軍に定着した。“江川事件”で巨人から移籍した小林繁投手との出会いを生かし、少ないチャンスをものにしたが、それは同時に腹を括って臨んだ結果でもあった。「5年目は5月20日までに1軍に上がれなかったら、俺の野球人生終わりと決めていた」。その日は工藤氏の23歳の誕生日で、1軍の藤江清志投手コーチにもそんな引退覚悟の気持ちを伝えていたという。 【映像】遅刻→土下座も虚しく退場… 必死に頭を下げる“トライアウト戦士” 1979年、5年目の工藤氏は2月の高知・安芸キャンプ途中から1軍に上がった。「最初は2軍だったけど、ピッチャーが足りないということで、1軍から呼び出された時に、全然打たれなかった」。そのまま1軍となり、小林投手から学ぶなどして、さらに力をつけていった。「オープン戦でも、内容は悪くなかったしね。チームでも成績がよかった方だったと思う。1番だったんじゃないかな」。手応えは十分すぎるほどの春だった。 しかし、開幕1軍メンバーからは外された。「何でか、わからなかった。選ばれると思っていたから、腹が立ったよ。藤江さんが俺のところに来てくれて『工藤、くさるなよ』って。俺は『くさりはしませんけど、キャンプからやってきて、オープン戦でもしっかり結果を出したのにメンバーに入れなかったら、どこでやるんですか!』と言った。藤江さんは『これが今のプロ野球や、今の阪神や』と言っていたけど、“なんやねん、それ”って思ったね」。 その時に工藤氏は「わかりました。頑張りますわ。俺、5月20日が誕生日だから、その日まで頑張ります」と藤江コーチに宣言したという。「5月20日までに1軍に上がれなかったら、駄目なら俺の野球人生は終わりって決めた。もうプロに入って5年目だし、頑張れるのはその時まで。そう思って勝負をかけたんや」。言葉通り、開幕から2軍で必死にプレーした。「2軍でも内容がよかったと思うよ」。その結果、開幕から4カードが終わったところで1軍昇格となった。 「誰だったかが怪我をして、俺にお呼びがかかった。『おい、工藤、1軍に上がってくれ』ってね」。4月21日の大洋戦(甲子園)で、工藤氏は1軍マウンドに上がった。前年(1978年)8月11日の中日戦(西京極)以来のプロ2試合目の登板は、3-4の7回から投げて2回を1失点。自身で設定した「1979年5月20日まで」はクリアした。次の出番の4月29日の広島戦(甲子園)は、0-2の6回に登板して1回無失点。打者3人でピシャリと抑えた。