<PlayHard特別な夏・磐城>/2 進学へ 揺れた3年生 県独自大会V目指し、再びチームは一丸に /福島
「野球の神様はいないのかなと思った。甲子園は、遠かった」 休校期間中の登校日だった5月25日。磐城の岩間涼星主将(3年)は、グラウンドに集まった報道陣に、ゆっくりと言葉を選ぶように話した。 【真夏の熱闘】交流試合の写真特集はこちら その5日前、夏の甲子園と地方大会の中止が発表された。高校野球生活の集大成だったはず。「正直苦しかったし、こんな経験はしたくなかった。甲子園は並大抵の努力で行けるような場所じゃない」。その目は真っ赤だった。 中止決定の日、県高野連は独自大会の開催を検討する方針を示した。選手たちの新たな目標になるはずだったが、進学校である磐城は大きな問題に直面した。3年生の数人が、受験勉強に専念するために引退を決意していた。 バラバラになりつつあった3年生を見かね、岩間主将は一人一人に電話した。それぞれの考えを聞くためだ。「みんないろんな複雑な思いがあった。でも最後は、(前監督の)木村保先生が残してくれた『Play Hard』という言葉がみんなを一つにしてくれた。野球も勉強も全力でやってこそ磐高野球部。最後まで自分たちのスタイルを貫こうとまとまった」 副主将の清水真岳選手(3年)は、夏の甲子園の中止が決まった後、「他の部の仲間が受験モードに入った焦りもあった」といい、バットの代わりにペンを握り、1日10時間以上机に向かった。「両方頑張るのは正直難しいが、これまでもやってきたこと。どっちつかずになって言い訳したくなかった」と最後まで野球をやりきることを決めた。 6月8日、待ちに待った部活動の再開。今春入部した1年生も含めて、全学年そろった初めての本格的な練習だ。県独自大会の優勝という目標に向け、再びチーム一丸となり、走り始めた。 朗報が届いたのはその2日後。日本高野連がセンバツ出場32校を招待する「2020年甲子園高校野球交流試合」の開催を発表した。グラウンドで吉田強栄校長から知らせを聞いたナインに対し、渡辺純監督は「高校球児は皆、一度は必ず甲子園を目指す。でもほとんどは甲子園で高校野球を終えることができない。あの場所で高校野球を終えられるなんてお前たち最高だな」と笑顔で語りかけた。 エースの沖政宗投手(3年)は、岩間主将とともに夏の甲子園中止が決まった直後から、県の独自大会開催を信じ、最後までみんなでやりきりたいと主張し続けた一人だ。「甲子園で戦う機会をもらえたことに感謝したい。モチベーションの維持が難しい日々が続いていただけに、とてもうれしい。人生の一ページを残すため、全力で挑みたい」と意気込んだ。 このとき、県独自大会まで約1カ月、甲子園での交流試合まで約2カ月。渡辺監督は「まずは独自大会優勝を目指してやれることをやるだけ。時間は限られているが、ベストパフォーマンスを発揮できるように調整する」と静かに闘志を燃やした。=つづく