「胸をあらわ」にして電車を降りようとする母親の姿も…「大正時代」の路面電車の「今では考えられない光景」
停車場でもひと悶着
電車が動き出すと、車体がゆれ、中年女性とその娘が倒れそうになり、足を踏まれた股引半纏の職人が「あいたっ!」と叫ぶ。しかし電車が進むうち、足を踏まれた職人はいびきをかいて居眠りをしはじめる。だれかが新聞を音読している声も聞こえている。 続いて停車場の前で止まらないうちに、2、3人の男がとびおりていく。車掌も止まってから降りるようにいうが、すでに一人転げ落ちてしまった。 停車場で車掌は、乗り換えの案内、車内のなかに詰める指示、スリの注意などを矢継ぎ早にしゃべりはじめる。老婆が乗り換えを金切り声で訴え、別の乗客は回数券を買い求めてイライラしている。さらに押し合いへしあいの混雑になった車内では、殴り合いのけんかでもはじまりそうなほど乗客が罵りあっている。銀座の大通りを通るころには電車は大混雑になっており、なかにはわらじ履きの田舎ものが3人もいる。 次の停車場では、乗り逃げをした乗客を車掌が追いかけるはめになるが、車内に残る乗客が「けちけちするな! 早く出せ!」と叫びだしている。長くなる停車で乗り込んできた女性がすでに乗車していた知人と偶然出会い、周りに聞こえる声で世間話をはじめた。電車は進むうちに結局、電車渋滞に巻き込まれ、立ち往生することになる。車掌は乗客たちに乗り換えをすすめ、乗客たちはぶつぶつと文句をいいながら降車していく。 荷風は、このような電車をめぐる近代的な空間と喧騒を、深川以東に残る江戸の伝統的な風景や音調とのコントラストとして描き出している。そのため小説としての誇張がすくなからず含まれているし、こうした記述自体が「劣化言説」のバリエーションのひとつだともいえるだろう。しかし、その一方で、現在ではみかけない光景も多く含まれている。小説であることを割り引いたとしても、ここで描かれた電車は、いまからみると、ずいぶんと騒々しく、人びとの行儀もそれほどよいとはいえない。 たとえば、停車場に改札がない路面電車では、車内で車掌が直接、切符のやりとりをする必要がある。しかも、それと同時に、車掌は乗車案内、安全確認、車内秩序に気をくばらなければならない。乗客にとっては車掌が頼りであるが、早く出発したい電車の車掌も忙しい。こうして車掌と乗客、乗客と乗客のやりとりは切迫し、せわしない車内になる。叫び声や金切り声、罵りあいや怒鳴りあいには誇張があったとしても、苛立つ乗客も多かっただろう。また、母親の授乳や乳房の露出、新聞の音読なども現在ではあまり見ることはない。 つづきとなる記事<じつは「電車のマナー」は昔より良くなっているのに、なぜ乗客たちは「イライラ」しているのか>もぜひご覧ください。
田中 大介