歳をとることは不幸か、幸福か?ありのままに生きる…高齢化とは幸せなこと
「老年的超越」という概念とは
この問いへの回答のヒントになるのが「老年的超越」という概念です。 老年的超越とは、Tornstamが1980年代に提案した概念で、英語ではGerotranscendenceといいます。物質主義的で合理的な世界観から、宇宙的、超越的、非合理的な世界観への変化を指す」と定義され、高齢期に高まると言われています。Tornstamは、老年的超越の内容として、利他性の向上、物質論的な社会常識からの解放、他の存在とのつながり意識の増大などの要素を挙げています。 これはこれまでに挙げた、拙著『幸せの日本論』の表(再掲)(第4回「理想のない現実論は危険、現実のない理想も危険、でも理想は実現可能である」)や、地位財型の長続きしない幸せと非地位財型の長続きする幸せの対比図(図2)とよく似ています。
要するに、幸福学から見ると、老年的超越とは、幸福度の高い理想的な状態のことなのではないかと思うのです。
老年的超越の概念を表す8つの因子
増井らが開発した、8因子29項目から構成される日本版老年的超越質問紙(Japanese Gerotranscendence Scale; JGS)を参照しながら、老年的超越とはどんな状態なのか、詳しく見ていきたいと思います。本版老年的超越質問紙の概要を表2に示します。
表2に示されたように、増井らの研究によると、老年的超越という概念は、8つの因子から表せるそうです。この内容を順に吟味してみましょう。 1つ目は、「ありがたさ」・「おかげ」の認識です。幸せの第2因子、ありがとう因子(つながりと感謝の因子)ですね。つながりと感謝の因子です。 2つ目の内向性は、ひとりでいることのよい面を認識する、ひとりでいても孤独感を感じない、外側の世界からの刺激がなくとも肯定的態度でいられる、ということなので、これまでの幸福学の知見とはある面で反しています。なぜなら、我々の調査でも、友人・知人の数は幸福度に比例したからです。孤独であってもそれを孤独と感じない境地は、高齢者の独特の境地なのかもしれません。ある面では、第4因子のありのままに因子(独立と自分らしさの因子)とも言えるかもしれません。 3つ目の二元論からの脱却とは、善悪、正誤、生死、現在過去という概念の対立の無効性や対立の解消を認識するということなので、表1に示した概念と近そうです。 4つ目の宗教的もしくはスピリチュアルな態度とは、神仏の存在や死後の世界、生かされている感じなど、宗教的またはスピリチュアルな内容を認識するということです。私は幸福学研究を行うにあたり、これまでスピリチュアリティー(精神性)にはあまり言及してきませんでしたが、実は、国際的にはスピリチュアリティー研究は一部で活発に行われています。今後追求するべき分野かもしれません。ただし、私自身は、精神と心の違い、スピリチュアリティーとマインドとハートの違いがあまりよくわかりませんので、まずは定義の明確化から始める必要があるかもしれません。 5つ目。社会的自己からの脱却。見栄や自己主張、自己のこだわりの維持など、社会に向けての自己主張が低下する、とあります。他人との比較をしない幸せの第4因子、ありのままに因子(独立と自分らしさの因子)と近そうです。 6つ目。基本的で生得的な肯定感。自己に対する肯定的な評価やポジティブな感情を持つ。また、生得的な欲求を肯定する、これは幸せの第3因子、なんとかなる因子(前向きと楽観の因子)に近そうです。ただし、基本的で生得的な肯定感の質問の中には、「自分の人生は意義のあるものだったと思う」への回答も含まれています。人生に意義があると感じることは、幸せの第1因子(やってみよう因子、自己実現と成長の因子)とも関連していそうです。 7つ目。利他性。幸せの4つの因子でいうと、第2因子(ありがとう因子、つながりと感謝の因子)の中に含まれている概念ですね。 そして最後の8つ目。無為自然。「考えない」「気にならない」「無理しない」といったあるがままの状態を受け入れるようになる、とあります。「こまかいことが気にならなくなった」などの質問から構成されているので、無為自然というほど卓越の境地ではないような気もしますが、幸せの第4因子、ありのままに因子(独立と自分らしさの因子)と近そうです。