ウクライナ侵攻、15年前の警鐘はなぜ無視されたのか 国土の2割を奪われた国の悲劇、ロシアとジョージアの5日間戦争
一方で、ロシア軍の反撃は当初は合法的だったものの、ジョージア領内にまで侵攻したのは国際法上、違法で行き過ぎだったとした。(同報告に対し、ジョージア側はなおロシアの挑発・攻撃がきっかけであるとの主張を変えていない) 12年の議会選でサーカシビリ派が敗れた(サーカシビリ大統領は翌13年の大統領選後に退任)後、首相となったガリバシビリ氏も「サーカシビリ氏の無謀な攻撃が、ロシアに侵攻の口実を与えることになった」と、サーカシビリ政権を批判している。 ロシアのプーチン大統領は12年8月、ジョージア側からの攻撃に備え「ロシア軍参謀本部が(反撃)計画を立て、南オセチア義勇兵の訓練を行った」と準備を進めていたことを明らかにしている。 ▽甘い見通し なぜ、サーカシビリ氏は軍事的には圧倒的優勢にあるロシアに対し無謀な挑戦に出たのか。 理由として(1)04年の大統領選で国家統一を掲げ当選した同氏にとり、2地域に対し何らかの行動を取る政治的プレッシャーがかかっていた(2)分離運動が盛んだった南西部アジャリア自治共和国や、西部要衝コドリ渓谷の支配権を奪還し、南オセチアなどの奪還にも自信を深めた―などが考えられる。
戦争開始時には当時、ロシア首相だったプーチン氏は北京夏季五輪開会式のため、メドベージェフ大統領は休暇のためそれぞれ首都モスクワを空けており、こうしたタイミングを狙ったのではとの指摘もある。 一方、08年8月、筆者のインタビューに応じたジョージアのシェワルナゼ元大統領(元ソ連外相、2014年死去)は「南オセチアはジョージアの領土であり軍を進める権利があったが、サーカシビリ大統領は(ロシアの激しい空爆などの)事態の展開は予測していなかったはず」と指摘した。 また、ジョージア出身で慶応義塾大SFC研究所上席所員(国際関係論)のダビド・ゴギナシュビリ氏は「真相は本人の口から聞かなくては分からないが、サーカシビリ氏は21世紀になったこの時代に、ロシアが全面的に戦争で応じるとは考えていなかったのではないか」と推測。「ロシアが参戦すれば、軍事力から考えてジョージアに勝ち目はなかった」と語る。 ▽制裁には慎重姿勢